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刑務所内処刑

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


過去に放映された刑務所内の実態ドキュメント現在ここの管理人さんのお一人管理人Jさんが撮影コーディネート、製作に加わった番組、

懲役のない刑務所 ~フィリピンの日本人死刑囚~
2004年10月13日(水) 03:00~03:55 放送 (2004年10月12日(火) 27:00~27:55 放送)
【再】2006年3月5日(日) 02:40~03:40 放送 (2006年3月4日(土) 26:40~27:40 放送)
  ↓  ↓  ↓
フィリピンの日本人死刑囚へジャン プ


獄中日記

今日は1日、雨で涼しい日であった。又ホコリもたたず気持ちが良い、昼から雨は上がり曇りに。
僕は刑務所生活をしていて、警察官、軍関係者が多数である事に驚く。薬物、殺人、強盗、誘拐の凶悪犯罪が占める。
日本の警察の不祥事は日本全体を見ても数件であろう。ワイセツ行為、酔っ払い運転による事故、万引き程度と思う。過去には東京世田谷経堂の松山事件、巡査が巡回中に女子大生を殺害した事件。警察官がホステスを殺害した凶悪事件も発生しているが、フィリピンには比べ物に成らない。日本の警察は人命尊重し、被害所の救出を第一とし、犯人の逮捕が職務である。フィリピンの警察(PNP)は違う。
何でも勘でも発砲し、犯人であろうが被害者であろうが射殺する。逮捕しても拷問はすさまじい。手の指の間に木製の棒を入れ、力強く握る。指は骨折する。殴る、蹴る。囚人中には多数の身体障害者が存在する。殴る蹴るは当たり前。逮捕される前に被害者、被害者の身内の者による私刑も有り、腕の切断、足の切断、目を潰す等の私刑を実行している。今でも両足切断(太ももから)され、車椅子生活を送っている者も居る。
刑務所でも同じである。
2003年に発生した事件で、あるギャンググループのボスの所へ妻子が面会に来た。子供(女の子6歳)で、その子は同じグループの人間が面倒を見ていた。数時間後、母親が異変に気がついた、女の子の下着が汚れてる(精液)、母親は子供に聞いたところ(おじさんにオシッコかけられた)と話した。母親は直ちに父親に全てを告げた。その夜、父親(ギャングのボス)は、本人を呼び出し、鉄の棒で頭を殴った。頭はパクッリと口を開き、おびただしい出血、その後、手足の爪を全て剥ぎ取り、ラストはジュニアを切断し口の中に押し込んだ。本人が逃げないように、す巻きにし、朝まで放置した、すでに死亡していた。刑務所は捜査するが、別人が犯人として出頭し、裁判では無期刑。グループのボスは、月々の生活費を支払う約束が出来ていた。2004年ボスは出所したが、約3ヶ月たったころ殺された。このボスは刑務所内で合計3名を殺害している。殺人犯の身代わりと成った人間は、生活費が途切れ、苦渋をかんでいた。
アァ!!そうだ今日、午前中、日本人囚人 S、とO,とAさんに会った。Sは日増しに痩せている。顔色も悪く皮膚も乾燥気味、金が廻ってない様だ。新しいターゲットを物色中だろうなぁ~。観光客が来れば、泣き落としで現金をゲットする。大の大人が平気で人前で涙を流す。アカデミー賞の主演男優賞、オスカー並み。それ以上かも。Aさんに会い元気ですか?何処へ行くのと、え~事務所まで、僕がもうすぐ出所ですねと言うと
え~もうすぐです。とAさんが言った。もう4年前から聞いている言葉じゃないか。彼は前から心臓病で、治療による刑の停止申請をしている。数年前に治療は完治している。心臓病ではない、血管か詰まった程度でした。もし心臓病だったら、ジョキング、卓球は出来ないでしょう。心臓が弱ければ、次々と他人の子供を自分の子供としいて認知しないでしょう。反対に心臓に毛が生えている位、心臓は強いと思います。多分今でもやってると思うが、囚人の中に、マルコス時代の隠し銀行口座を現金化しようとしている。Aさんもそれを信じ、いろいろと動いている。僕も一度書類を見たことが有るが、東京三菱、UFJ、三和、三井住友、スイス銀行、香港、アメリカの口座である。東京三菱銀行だけでも1兆円以上、三和銀行でも、金証券20ミリオンドルが10枚とか、合計するとフィリピンの年間予算を上回ると思う。
この話を内外の者に信用させ、お金を得る。1種の詐欺ですね。他にも有る、太平洋戦争時代のアメリカ発行の軍票、ウェスドン、ファルドンとかビクトリーの話もあり、額面だけでも600億ドルと言った話も有る、騙す方も凄いが、騙されるバカも居る。フィリピンでは今でも、山下将軍の金の話がある。地図を持って来たり、暗号の記号が書かれた物等持参して来る。フィリピン全土を掘れば金が出るかもしれないが、資金がかなり掛かる。
1999年に長野県出身の方で、バターンで金探しえ押している老人に会った事がある。1年で数百万を投資している。現地人の給料、資材等の費用である、もう15年は金探しをしている。結婚ビザを取得する為にC市の女性と偽装結婚もしている。会社の退職金を全て投資している。金の延べ棒が1本でも出ればよいが、出なければ自分が穴に埋もれちゃうよ。
僕が2001年から20002年、入国管理事務所の拘置施設(BID)で暮らし他が、そこでも日本人が、ハイ・イードル銀行証券の売買の話を持ってきた。H島氏、М城氏、Y辺氏、それにフィリピン人でべラスコが来て説明した。銀行発行の1000万ドルの証券を5000万円で購入し、ハイ・イードルのコンピュータ情報を元に売買し、利益を得るらしい。1日で億単位の利益が有ると言っていたが、その話が本当なら、全世界の長者がやらない訳が無い。美味しい話しには、気を着けなければいけない。入国管理事務所の拘置施設(BID)はフィリピンらしい。金が有れば外の世界と全く同じ、金を支払えば、デパートへの買い物、夜、ビデオケの店に行って飲酒、自分の自宅へ帰ることも出来る。射撃場は行って射撃も可能、隣で警察官が射撃訓練しているが。
事件により拘置されている者は1回の裁判で弁護士費用2000ペソ(約5000円)職員によるエスコート2000ペソ、ガソリン代500ペソ(約1200円)食事代、日本人の場合、日本食レストランで食事、合計すると日本円で2万円以上が必要だ。職員のよるエスコート費は職務だから必要ないし、ガソリンも役所で支払うので不要、全て職員のポケットに、、、、。
拘置所で禁止されている物は全て職員が持ち込んでくる。覚せい剤、酒、女、ギャンブル、職員は大きな金を得ている。逃亡の協力もしてくれる。裁判へ出所する際、途中で車を下車するか裁判所からそのまま逃がしてくれる。
それには、まとまったお金が必要だ。職員が免職になった場合の生活費が必要だから、一般的に100万ペソ(250万円位)と言われていた。
強制送還から仮出所とするためには当時30万ペソ(約75万円)、この金を払えば出れた。
しかし中には弁護士が騙し取る例も多くある。国際手配も関係ない、日本人で、偽装紙幣1億円で指名手配の切符が出ていても、強制送還にならず、仮出所している。
なぜ、すぐ強制送還されなかったか、それは、フィリピン国内で架空の事件を作れば良い。強制送還にはならない。その架空事件に協力する日本人は、I上氏、BIDの拘留生活は10年を越えている。本人も架空事件で強制送還されていない、やはり、日本からの国際手配となっている。
罪名は強盗教。このI上氏は新しく入所する日本人、外国人に仮出所の話を持ち込み50万円、100万円、200万円と騙し取っている。
BIRで10年以上拘留されている事を考えると、日本で刑務所へ入ったとしても、もう満期で出所していたであろう。
BIDにもし入る可能性のある方は、I上氏にはご注意ください。
彼は最初に俺は前にイミグレーションに務めていたから、コネがある。
この言葉が黄色信号。
今日の食事

朝食、コッペパン1個
昼食、牛の腸のような物(4×4㎝位、野菜はバナナの花のつぼみ)
夕食、イワシの缶詰め半分

獄中死亡の邦人裏口出所

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


獄中日記

今日は、晴れ上がり、暑い1日だあった。日本は梅雨期で、ジメジメとし蒸し暑い又、カビ臭い頃だろう。しかし今は、懐かしく感じられる。日本を離れ10年が過ぎ、10年一昔と言うが、帰国後、電話の掛け方、電車の乗り方、その他、色々塗、不自由するだろう。フィリピン人旅行者の様なものだろう。我々も1種のフィリピン人化しているにかも知れない。日本へ帰るが、日本へ行くと言い換えた方が良いかも。喜び反面、不安が有る事は事実。
本日から7月に入り、8月15日は終戦記念日が間近かとなった。今年も昨年と同じ様に墓地の清掃と感謝、慰霊を捧げたいと思う。本来、囚人は、裁判、病院等以外、特別な理由が、無い限り、刑務所の外へ出る事は不可能であるが、しかしここ、フィリピン社会は違う。お金により、許可はもらえる。どんな事であろうと。ビデオカメラ、カメラの持ち込みも同様である。金が全ての国ですから、人の命よりも金が大切と言う国です。人を殺しても、8年から16年の判決の者もいる。詐欺罪の者は12年から20年とか無期、金銭関係は厳しい。
そう言えば、1年位前に出所したOさんは、今でも日本に帰国する事が出来ない。現在79歳と思う。帰国の為、一時入国管理事務所の拘置所にて拘束されていた。法務省のガイドラインでは、70才以上の者、外国人とか点数が打ち出されているが、未処理事件が、発覚しては無理だ。同じ東京出身の僕から見ても気の毒である。しかし自分には何もしてあげられない。但し、早期に帰国し、残された余生を送っていただきたい。口癖の様に言っていた事だが(日本で離婚した、元妻が待っている)と話していたが、以前にガンの病意で病床に着いている。現在も生存しているかは、不明である。日本人の未決因でも、死亡しても遺骨の引き取り人が無く、フィリピンで無縁仏として埋葬されている例も有る。
フィリピン人でも同様、刑務所で死亡した場合、家族等へは連絡するが、引き取り人が無い場合、米袋に入れ無縁墓地に埋葬する、人間扱いしていない。犬、猫、ゴミと同じだ。こんな所で犬死にはしたくない。畳の上とは言わないが、日本の地で、これがフィリピンに服役している日本人の総意であると思う。囚人に限らずフィリピン在住の日本人も同じだと思う。
今日の食事
朝食、ソウパス(マカロニのミルク煮、ミルクが足りなく味がない)
昼食、豚のシニガンスープ(酸っぱいスープに豚の脂肪2.5×2.5㎝位)
夕食、生イワシ1匹(いつもの様にホルマリン漬け)
日本食が食べたい、何でもいい、味噌汁、おしんこ、とんかつ、コロッケ、そば、うどん、刺身、寿司。本当に、何でもいいから日本食だ。やっぱり日本米だ。日本米ならおかずはいらない。


今日は朝から曇り時々日を差すが又、小雨も降る。1日であった。
今日、午前中、ミディァム・セキュリティー・コンパンドで一緒であったフィリピン人に会った。名前はジョエル、年齢は25か26歳と思う、彼の事件は、殺人と死体遺棄である。共犯者は、全員で7名。全員、親子である。近所の家とのトラブルで相手を殺害し、死体をバラバラに解体したとの事である。父親と子供4名は逮捕されたが、2名は逃走し、現在・指名手配中。
親子共犯の事件で思い出したが、同じ房に親子で強姦というのもある。自分の養女を父親が強姦し、子供の同じく強姦した事件である。父親の判決は死刑。しかし死刑制度が廃止されたので、今は無期、子供の方は無期、フィリピンでの判決が無期でも、12~15年で仮出所する。でも、フィリピンは強姦罪で服役している囚人が多い。日本からは考えられる強姦とは違う。自分の子供を強姦する例が多い。人間ではない。犬、猫、ネズミならまだしも。自分の子供をレイプするとは。。。
日本人でも2人ほど、変態が存在していました。二人供出所しましたが、1名は出所といっても天国へ出所しました。地獄かもしれませんが。幼児に対する性的いたずらです。男、女は関係なし、子供なら誰でもいいのです。亡くなった方の事をあまり書くと、夜が怖いので、これまでに。。。もう一人は当時65歳、I県のM下さんです。生後八ヶ月の赤ん坊に自分のジュニアをOOOOさせた事件です。本人は無罪を主張していましたが、ビデオカメラで撮影されていたので、動かない証拠です。70歳を過ぎ、大統領恩赦で出所し、今は日本です。M下さんが言ってました。(次は何処の国へ行こうかな)と日本でも、他国でも、事件を犯さなければ良いのですが。I県の人間はケチと言うが、確かにケチである。しかし、若い女の娘に、甘い声を掛けられると、財布が開く。十歳位の女の子には、キスしてくれたら20ペソ(約50円)あげると子供の親の前でも平気で言う。この変態ジジイ!!
変他で、頭に浮かぶのが、地元フィリピンの変態市長。その名はS氏。S氏は女性より男性が好みで、アベックがいたならば、二人を連れ去り、自分の手下に女性を自分は男性をレイプする。のち二人供殺してしまう。終身刑が9年、キング・オブ・変態オヤジ。又、アニマル系の変態も、カラバオ(水牛)、犬、猫、鶏、をレイプした者も居る。動物は告訴しない。同じ房で、2週間程前、白い猫をトイレでレイプした者もいる。他の者が言うには、出血したと喜んでいた。本当にバカなフィリピン人が多い。
日本の刑務所でも、よく行われている様だが、自分のジュニアに歯ブラシの柄で、玉を作り入れるらしいが、モンテンルーパ刑務所でも、入れる者がいる。プラスチェクの玉を入れる際、カミソリ包皮を切るが、深く切り過ぎる、血管まで切り不能に成ったそうだ。プラスチックのボールを入れても不能では、妻や彼女が逃げてしまうのがオチ。以前から思っていた事だが、フィリピン人の多くの者は会話は出来ても、読み書きが出来ない。70歳、80歳の老人ならまだしも、20歳から60歳の者でも、読み書きが出来ない者がいる。理由は色々有ると思うが、家庭生活が貧しいため、仕事をしなければいけないので、学校へは行かないのが多いだろう。日本人の囚人の中にも1人読み書きできない者がいる。日本人で昭和20年後半生まれで、読み書きできない。この日本人は人間国宝と言わざる負えない。昨日、日本人の象さん舎房の罪として、舎房からの外出が禁止となったそうだ。理由は借金問題、外出禁止は罰であるが、もう一つ身の安全の為でも有る。借金問題、食事関係で、殴り合いのケンカ、刺されたり、時には命を失う事も有る。昨年、支給食の量の多い少ないで殺人事件にまで発展した。大半の者は出所を待ち望んでいるが、中には、このまま刑務所生活をと望む者も居る。理由は出所しても帰る家が無い、仕事が無い、金が無い、それなら刑務所生活は天国だ。寝る所は有り、不足では有るが三度の食事は与えられる、仕事が無くても、生きていける。出所しても、又新しい犯罪を犯し、刑務所へ逆く戻り。確かに再犯率は高い。出所しても危険が共う被害者に復習され殺される。昨年、出所した者が1ヶ月も経過しないうちに、首と胴、二つに切断され殺された。
今日の食事
朝食、ご飯、イワシの乾燥させた物
昼食、野菜の煮物
夕食、生卵1個
今日の食事を計算してみると、ご飯9ペソ、イワシ3ペソ、玉子3.5ペソ、野菜の煮物4~5ペソ、合計20.50ペソ位、日本で50円弱、カロリーはどのくらいだろう?500カロリー有るかどうか??

日本人初の死刑判決

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


獄中日記

今日は昨日と打って変わって雲一つ無い快晴である。月曜日は面会も無く静かな1日である。今日の出来事としては、別に変わったことは無いが、午後5時に総点呼が行われた。通常の点呼は、1日3回午前5時、午前8時30分、午後5時30分である。職員は人数を聞くだけで、実際の数は、把握くしていない。月末位に総点呼が行われる。この点呼は全ての囚人が出る。一人一人名前を呼ばれたら、自分の囚人番号を告げる1カ月1回だから、例えば行え不明に成っても1カ月間は、発覚しないこともある。過去に殺された後、バラバラに切断されトイレに捨てられた事件が有ったが、直ぐに発覚しなかった。
この刑務所には、今、」日本人が7名居るが、中には事務所に(日本人観光客が来たから、私を呼んで下さい。受け取った現金の半分を払います)といった様に頼んでいる者もいる。僕に言わせれば(こじき)そんな日本人も居る。
食べる物にも、大変とか、(日本から送金が有るから、それまで貸して下さい)と金を騙し取る事を考えている。マスコミを通して、いろいろ日本国内から同情を受け、支援金等、受け取っているが、裏では違う(ヤッター)とばかり、スパーVIPといわんばかりに、金をばら撒く。
自分の子供を助けようと送金していた。今では年金暮らし。父親は病気で入院していたが、その治療費も送金した。父親は、まもなく病死した。
治療費まで送らせて、殺した様なものだ。
悪魔だ、実に自分の状況を考えず、自慢にも成らない。日本人初の死刑判決は、1980年代、コカイン罪のO田さんである。
19年間の刑所生活を終え2004年に出所した。O田さんの判決当時は死刑制度は廃止されていたが、あえて裁判長は死刑判決を言い渡した。
自動的に無期に落ち着いた。過去に死刑判決を下されても、自動で、最高裁への控訴なる。ほとんどが、無期に減刑される。今まで死刑が執行された者は、強姦、強姦殺人、強盗殺人で薬物によるし死刑が執行された事実は無い。
2006年に再度、死刑制度が廃止されたが、その後、凶悪犯罪が多発している、殺人、強盗、コカイン殺人、銀行強盗で行員、警備員9名を射殺した事件も記憶に新しい。事件に応じて、死刑制度を再開を望む。最近、テレビ、新聞を読んでも、毎日の様に凶悪事件が発生している。日本人の被害者も続出している。
フィリピンの警察の検挙率は低いから、犯罪天国だ。
刑務所には、日本人を被害者とする囚人が数名、服役さて居る。古くは、若王子さんの事件、オカマと日本人との三角関係からの殺人犯、もっと古いのは、岡田母子保険金目的殺人等が服役さている。MILF、アブサヤフ等テロリストも服役している。これらのテロリストは11番房舎に居房しているが、11番は、軍隊関係、警察関係者の居房である。面白いな~。また、故アキノ氏の暗殺犯とされている者達も11番房舎に、数名は病死、1名は70才以上と言う事で大統領、恩赦で出所している。仮出所の申請をしても出られない、裏で誰かが動いているのだろう。若王子さんの事件の犯人は今、1人は地方の労働刑務所へ、もう1人は、リビング・アウト、と言って、壁の外で、一年~二年以内に出所する為のリハビリテーションの様なものである。僕が中期刑ミディヨム・セキュリティー・コンパンドで服役していた時、会ったことが有るが、房長、並みのよい生活をしていた。岡田事件の殺人の仲介役O・クルーズとも会って話を聞いたことも有る。O・クルーズは、1980年代に刑務所から逃走し、偽装パスポートで日本へ渡航している。福島県たいら市の製造会社に勤務していた。そこで、日本人と知り合い、殺人の仲介役となった。
今日の食事
朝食、チョプラド(飯をおかゆ状にし、ココアと砂糖を入れた物)
昼食、チャプスイ(野菜の煮物)
夕食、魚5㎝位、(例によりホルマリン漬け)

獄中で生き抜くために

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


獄中日記
ビューティフルサンデーと言いたいが、曇りのち雨の1日であった。フッと頭の中には、日本の家族、フィリピンの妻、子ども達のことが浮かぶ。自分の妻、子供達を扶養していない自分の無力感を感じさせる。
僕たちの居房の房長には、頭に来る、今、33才人生の大半を刑務所、暮らし、青春の思い出、刑務所生活が基礎となっているので、人間性は最悪、根性が悪い。昔は金も無く苦しい生活を送った事も忘れている。刑務所内でパンパルかTXTメイトで知り合った女性と今は一緒だ。運良く、金の持ってる相手であったことが幸いし、今では房長となり、レストラン、金貸しまでやっている。僕とPJで話しする時は房長はカエル(殿様ガエル)と呼んでいる。日本で言う成り上り者が房長である。
僕とPJの日本人二人は食器洗い、清掃、その他を担当する。フィリピン人が居るが、別名密偵と呼んでいる。早く言えばスパイだ日本人の金の有無、食事は何を食べたか。全て房長(殿様ガエル)その他一同に報告している。PJは(飼い犬にかまれるとは事だから)と苦虫をかんでいる。考えてみると同じ日本人でも、色々と問題が有る。たった7名なのに、常に問題は起こる
フィリピン人の耳が有るので実名では話さない。像さん、自動車屋さん、爺さん、チューブ、アワと言ったとしてもフィリピン分からない、横文字も日本語に変え話す様注意している。像さん、爺さん、アワさんは、イリーガル、リクルートメントで詐欺罪も併合されている。像さんはイリーガル、リクルートメント(IR)の王様と言われている。所外、拘置所、刑務所、は関係なく働いている。一時、命も狙われた事も有った。(本人の所へ被害者からロウソクが送られてきたら、何を意味してるのか。日本で言う線香にあたる) 
例1フィリピン人女性の家族は日本へ行けると思い。6万ペソを造るため、田んぼを質入れし、カラバオ(水牛)を売却したが、結局、日本へは行けなかった。
例2拘置所にて拘留中、裁判の為、出頭するが、裁判後は日本大使館へ立ち寄る。事前にフィリピン人女性と大使館で待ち合わせをしたいるからである。象さんは女性から書類を預かり館内へ入る。女性は当然信用するだろう。館内へ入ると預かった書類は、ゴミ箱にポイ。。
未確認だが訴え出た人は数百人、被害総額600ペソという、ウワサもある。少しオーバーとは思うがでも凄い。さすが九州男児。以前はアメリカ、現在日本出身のアワさんもIRだが特殊技能を持っている。日本語は話すが読み書きは出来ない。しかし、英語、フィリピン死刑判決語(タガログ、イロカノ、ビサイヤ)とフィリピン人の様に話す。ウワサを聞くと父親は米軍所属のフィリピン人とか名前も日本人の名でない。子供も20~30人は存在している。本人の子とは思えない。戸籍を売っていると同様、認知届を提出し日本へ行かせる、日本へ行き、送金させている。
最近、最高裁の判決によれば、日本人の子と確認出来れば、日本国籍の取得が可能となる、本人は仕事が今以上に増すだろう。(神を信じる者は神の子。この人の場合、お金を出せば私の子)なぜアワさんと呼ぶのか、それは竜宮王朝時代、一般庶民、農民は米が食べることが出来ず、アワ、ヒエを主食としたいたようだ。その後中国から、唐芋が薩摩藩に伝わり、サツマイモと成ったそうだ。
今日の食事
朝食、パン1個
昼食、豚か牛の心臓(3×3cm)と牛の腸(4×4cm)の煮物
夕食、生卵1個、僕たちは玉子を使いチャーハンを夕食とした。
現在、時間午後10時30分、そろそろ寝る、続きは明日、書く事にしよう。

刑務所内組織図&手書き図面

JP氏、PJ氏からモンテンルーパ組織図が送られてきた、彼らが手書きで書いたものをそのままお見せしたいと思います。

Picture 011


Picture 003


Picture 004


Picture 005




皆様のご協力で沢山の方に現実を見ていただけるように一押しよろしくお願いいたします。
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テーマ : 日記
ジャンル : 日記

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プロフィール

管理人

Author:管理人
メールアドレス  free4649@msn.com

P J  1962年2月4日生まれ 46歳   
    罪名 強姦罪 刑期 無期1997年9月1日 1997年9月1日 12歳の子をレイプしたと訴えられセブ署にて逮捕 9月3日ダナオ刑務所に移管2週間後保釈、2001年7月20日 判決 2001年8月20日 モンテンルパ刑務所に移管


P J  1957年5月5日生まれ 51歳            
    罪名 詐欺罪 刑期 16年~20年 2001年9月24日 マカティ警察 逮捕 拘留 9月27日ビクータン入国管理局留置所 2002年10月4日 判決が下り 2004年10月10日 ニュビリビットモンテンルパ刑務所 Mediam 入所 2006年4月6日無期死刑房に移管、現在に至る。

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