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外に出られぬまま亡くなった日本人服役者

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


獄中日記

今日は朝から、日本晴れと言いたい所だが、ここではフィリピン晴れ。僕にとっては今日は大切な日である。クリスチャンとしての洗礼を受ける。外部からマニラ日本語教会(MJCC)から8名、ジュン先生の方々が訪問され、洗礼を受け、これで僕も正式にクリスチャンと成りました。
へブル13章5-8節の中で、あなたを見捨てない。又、ただの人間が私にどんな手出しができましょう。イエスは、昨日も今日もいつまでも変わることがありません。この言葉は僕にとって心強い言葉である。
今日もニュースではフェリーの沈没事故の二ュース、アメリカ海兵隊は到着しているが、一行に進展はない。事故から6日、生存者が居るとは考えがたいが、発表では、乗客862名、実際はそれ以上と思う。過去のフェリー事故で、会社側の発表は約800名の死亡、実際は4000名の死者を出したのですから、明らかに定員オーバーフィリピンの利益追求制度、こんな事故が発生しても、大統領はアメリカ訪問、いいえ旅行でしょう。。。立派な大統領です。どんなスキャンダルにも負けません。日本であれば、すぐに離職してますね。AKは、高熱と口内炎で苦しんでいる。今月で6日目。刑務所にも病院と名がつくものは在るが、急患で病院へ行っても、医師が不在、薬が無いと言う理由で、明日とか、金曜日の夜に病院へ行くと月曜日に来るように言われる。生死を伴う病気の場合、まった無しである。重病の場合、所外の総合病院へ行くが、現金が無ければ病院へも行けない。金が無いイコール死。
昨年10月6日、日本人のM山氏が亡くなった。病名は発表はしないが、ガンと思われる。所外の総合病院で検査を終っているのにもかかわらず、何ら治療もされず、亡くなる当日、血を吐き、病院へ運ばれたが、帰らぬ人となった。数日後、日本人全員が参加して、ミサが行われたが、そこはビックリ、死体が10体以上全裸のまま並んでいた。変色し、ミイラ状態の死体も又、奥様に臭い、例え様がない。神父が鼻にタオルでおさえて、ミサを行ったのが、記憶にある。僕が2001年~2002年10月まで、入管の拘置所で拘置されていた時で日本人が3名死亡、ここ刑務所でM山氏、4名の死を見てきた。明日は我が身、これが実感である。
今日に食事
朝食、コッペパン1個
昼食、野菜の煮物(野菜はドロドロ、かぼちゃが入っているらしく、下痢便風野菜の煮物)
夕食、小麦粉と不明の肉(肉の棒1本)

2008年6月27日金曜日
今日は、前日程、日差しは強くなは無いが暑い。生ビールでもと言いたいが、刑務所は禁止。しかし刑務所内では闇で販売してる。ビールは無いが、安物のブランディー小ビンで500ペソ(約1250円)大ビンで1200ペソ(約3000円)で販売している。面会者が持ち込む事は不可能、入場の際の手荷物検査、身体検査が行われるので無理。職員が持ち込んで、大きな利益を得ている。又、囚人が、刑務所内で密造している酒類もある。僕も以前飲んだ事があるが、下痢で一晩泣いた事もあった。下痢だけで命は助かったが、中には工業用アルコールで製造した酒を飲み死者を出したことも有る。2002年には、一度に23名が死亡している。2005年には2名が病院へ担ぎ込まれたが、1名は現金が有り薬を購入出来たので助かった、しかしもう1名は文無し、そのまま天国か地獄かは不明だが、あの世行き(ブランディーは外の店では小ビン40ペソ(約100円)大びん80ペソ(200円)の物)フェリーの沈没も進展しない。船内に危険な薬品が積まれているため、船内に入る事が出来ない模様だ。危険物の等の持ち込みは禁止されてると思うが、、、、
今日の食事
朝食、チョプラド(飯をおかゆ状にし、ココアと砂糖を入れた物)大の大人が食べる物じゃない、子供のおやつダヨ!!
昼飯、豚のレバーの煮物(レバーは3cm角位)前回、下痢を起こした為、食べる勇気が無い
夕食、アジ(4~5センチ位ホルマリン漬け)魚も自己防衛の為、食べれない。
夕食は昨日、僕の洗礼に来て下さった、マニラ日本語教会の方より頂いた、日本のレトルトカレーをベースにローカルのカレー粉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、にんにくを入れ調理し食べた。カレーを食べるのも何ヶ月ぶりだろう。うまい!!
日本大使館が3ヶ月に1度面会に来るが、その際、食品を持ってきてくれますが、震災用の非常食です。毎回、カレー、シチュー、缶詰め類を持参するが全てといって良いほど賞味期限切れ。2002年、2004年の刻印が輝いていた。パイナップルの缶詰めを開けた時パイナップルが茶色でした。我々、囚人に人体実験されては困りますよ。外務大臣。
今日はギャンググループのC(コマンド)とS(スポットネック)の殴り合いの喧嘩が有った。借金のトラブルらしい。刺し合いには成らず、死者、負傷者は出ていない。時々、敵対グループの場合、殺し合いのケンカとなる。個人対個人がグループ対グループと成り、ナイフ、時には手製のショットガン(フィリピンギャンググループではスンパという)これを使うと、職員もM16、ショットガン、拳銃を使用し死者、負傷者は当然。ギャンググループに他に拳銃、手りゅう弾を所有するが、戦争にならない限り使用しない。(2006年12月のハッピーゴートBCの対立の時には、囚人側にマシンガンが有ったが、その後の検察では発見されていない。)
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Comment

★信じられない。

うそでしょ?日本大使館が?
日本では賞味期限切れの食品を販売して何かあると会社が倒産しますし、経営者は刑務所行きですよ。
これだけは絶対抗議すべきですよ。

★困ったものですね

大使館員は動かないでしょうね!日本の外交官としては、姥捨て山的存在のフィリピン大使館員ですから、エリートじゃない、掃き溜めの赴任先ですから、給料貰い、赴任手当て(月数十万円)で遊びまわり、金貯めて帰国後悠々と暮らすことしか考えてないですから。キャリアにならない赴任先ですからね~

★JION様

JION様
講義してもなにも変わりはしないと思いますが、やれることはやってみるべきだと思います。このブログをもとにたくさんの方が集まり、実情をたくさんの方に知ってもらうこれがはじめの一歩、といったところではないでしょうか。

★G 様

Gさまの言われるとおりだと思います。
今我々ができることは無実の罪で確実に同胞が服役をしているということをわかっていただけるように、皆さんのブログ、HP等にここのリンクを張っていただき一人でもたくさんの人に見ていただくこと、、ここから信実を広めて行きたいと思います。

★No title

すべてが事実でありますこの記事を読んで感じました。私も実の罪で1年半マニラシティージェルにいたから、よくわかる。本当に最悪だ
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プロフィール

管理人

Author:管理人
メールアドレス  free4649@msn.com

P J  1962年2月4日生まれ 46歳   
    罪名 強姦罪 刑期 無期1997年9月1日 1997年9月1日 12歳の子をレイプしたと訴えられセブ署にて逮捕 9月3日ダナオ刑務所に移管2週間後保釈、2001年7月20日 判決 2001年8月20日 モンテンルパ刑務所に移管


P J  1957年5月5日生まれ 51歳            
    罪名 詐欺罪 刑期 16年~20年 2001年9月24日 マカティ警察 逮捕 拘留 9月27日ビクータン入国管理局留置所 2002年10月4日 判決が下り 2004年10月10日 ニュビリビットモンテンルパ刑務所 Mediam 入所 2006年4月6日無期死刑房に移管、現在に至る。

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