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PJ氏の経歴

名前   PJ
住所   東京都
罪名   詐欺罪
刑期   12年~20年
裁判所  マカティ地裁 ブランチ148
事件番号 01-1593
裁判官  OSCAR B PIMENTEL
告訴人  NORIYUKI SONODA
証人   BRENDA SANTIAGO
弁護士  ROIAND VILLENES
通訳   吉野 フジオ
被告弁護士 バルセロナ

逮捕から刑務所への記録
2001年9月16日  マカティ警察逮捕
2001年9月20日  入国管理事務所、拘置所(ビクタン)
2002年10月4日  判決
2002年10月10日  モンテンルパ刑務所(サンパギッタ中期刑)
2006年4月6日   モンテンルパ刑務所(長期刑)
 
告訴人Sと知り合った時期及び経緯
2000年7月下旬ころ、BULI Muntinlupaの知人、ロディ・リントの自宅に訪問していた時知人宅の前の住むMという女性に、日本に居住する恋人、Sに電話してほしいとの依頼があった。ミカとがSが知り合った場所は、アラバングに所在する、ビデオケ(チェック ポイント)で客として来店したSを知ったそうだ。
7月下旬、ミカの依頼により、Sに電話した。その後、何度か電話しフィリピンに来た場合、会う事を話し合った。ある日、僕がラスピニャス市内で、トライスクールの乗車中、財布を遺失した。財布の中身は、現金、クレジットカード、ATMカードであった。ATMは日本国内専用。8月に入り、僕はSに事情を説明し、送金してもらった。
第1回目は、2000年8月7日 10万円
第2回目は、2000年8月11日 20万円
第3回目は、2000年9月3日 80万円
第4回目は、2001年1月10日 160万円
第5回目は、2001年4月10日 15万円
を送金してもっらた。
受け取り方法は、第1回から第3回は銀行振り込み。第4回、第5回はDoor to Doorにより受け取り。
2001年4月13日、パサイ市在住、サンファン病院にて、ブレンダ・サンチャゴに会い借用書を渡した。印紙なし
初めて借用する時に、住所、家族の住所は知らせて有る。フィリピンも含め、Sと初めて会ったのは、2000年10月5日午後4時過ぎ、ホテル、ホリディ・イン・マニラ。Sが日本から同行してきた者は、日本人4名同席した者は、ブレンダと運転手のペピィト。ホテルのロビーで当時、副大統領のアロヨが来館していた。この事実がSの面会がホリディ・イン・マニラと解ける。第2回目、2000年10月10日、Sの帰国日、午前中、ホリディ・イン・マニラにて。第3回目2001年3月25日、ホリディ・イン・マニラの合計3回の面会。
裁判では、現金を僕に渡したのは、ブレンダで直接渡したと証言、場所は2000年1月7日にブルバードマンション。7月21日マンダラヨン、9月3日バリオフェスタ、2001年1月1日バリオフェスタと偽証している。私が、Door to Doorで受け取った証人は多数存在する。
告訴人と証人は、裁判では、僕とSでフィリピンで質屋の開業資金として渡した、と証言しているが何の証拠も存在しない。事実ではない。
僕は、弁護士バルセロナに対し無実の証人、Sの宿泊するホテルの調査、又裁判では、質屋に関して質問する様に話しをしたが何も行われていない。ブレンダが直接、現金を渡したすれば、必ず領収書が有るはずです。しかし提出されていません。質屋に関しても何も証拠は無い。日本人通訳、Yだが、私が選任していない。告訴人が選任した者で、僕には了解を取っていない。告訴人は日本在住の日本人との金銭の貸借問題は、日本で言う民事事件ではないでしょうか。又、僕がマカティ警察に逮捕された理由が判りません。住所地でもありません。
発生場所といっても、Door to Doorで受け取った場所はラスピニャス市です。告訴人は日本、証人はサンタロサ・ラグーナです。
告訴人がフィリピンにて、現金を渡したと強調しているのは、日本から送金ではでフィリピンの事件を立件するのは不可能であるからと思う。

法務省のガイドラインは、ミニマムセンテンスの2分の1を経過している場合、減刑の申請が可能。もし減刑が認められた場合、仮出所の申請も可能となる。

※ 裁判中に自称、裁判官のアシスタントのドンから毎日の様に、TEXTが来た。100ペソ支
払えばジスミスにする。払わなければモンテンルパ20年と何度なくTEXTが届いた。僕は
証拠としてその内容を弁護士に全て送ったが、何の行動も取らなかった。
※ 判決の日には、弁護士、通訳、不在のまま判決を言い渡された。判決後、私は控訴の意志
を告げたが、控訴となっていなかった。
※ 書き忘れていましたが、私の証拠として、日本の銀行口座の証明書、日本からの送金等
記載のもの。私の無実を証明する、証人等の弁護士に伝えたが、裁判では一切証言して
いない
※ 原告側の証人、ブレンダ・サンチャゴが直接、現金を渡したと証言しているが、もし現金を渡
したのであれば、領収書等は有るのか。
※ 質屋の開業と証言しているが、計画書、その他、証拠として一切提出していない。その開業
資金を詐欺としたら、借用書は何の意味があるか?私がSと面会したホテルに対して、弁
護士は何も調査もしていない。
※ 私は、Sと始めて面会したには、2000年10月5日であるが、Sは、それ以前からの知り合い
と証言している。私にSを紹介した。ミカなる女性が、証言すれば、事実が判明する。



Q, 今後の目標は?
A, 1日も早く出所する事が、第一目標です。今年3月31日付で、減刑申請は提出済みで、
回答待ち状態である。家族の問題で、二人の子供の日本国籍の取得と妻、子の日本へ
の渡航に関する件。(事件外)
Q, 出られる確率は?
A, 僕の刑期は、12年~20年で、通常で2010年に仮出所の申請が可能である。もし減刑が
認められると多少、早められると思う。
Q, いつ?
A, 2010年と思われる。
Q,今の支援団体は?
,A. 事件に関して支援団体等は無い状態です。
Q,大使館は何をしてくれるのか?
A, 断言できる事は、無いの一言。

※ 僕は、逮捕時、警察より、大使館へ電話を掛け相談したが、面会は無し、5日後、入国管理
事務所の拘置所(BID)に拘留中、数ヶ月後に面会に来た。っ領事に対し、僕は無実を主張
したが、領事は一言、フィリピンでよく有る話し、フィリピンへ来た。あなたが悪い。であった。
在フィリピン日本大使館の領事とは思えない発言である。
※ 逮捕行為、被疑事実、等の事実関係の調査無し
※ 弁護士、通訳等、選任に対して、非協力的
※ 裁判に対する、中立、公平等する調査無し
※ 大使館、領事は、事件に関して、フォローアップは行うがバックアップは不可能との回答。
無罪を主張している者に対してバックアップは、必要不可欠と思う。大使館としては、事件
       に関して、触れたく無い体制である。以前、大使館として、減刑の申請を依頼したが、前例
       が無いで終わった。今年3月31日付の減刑申請では、Board of Pardons and Paroleへ申
       請書が届いた有無の確認のみである。

再審理を考えた時期も有ったが、裁判費、弁護費用等を考えると、簡単には動けない。2001年から現在まで、7年服役し、あきらめ半分あと、数年で仮出所と思っている。大使館が、もっと積極に協力して頂ければ、もう少し違った考え、行動が取れたと思います。しかし可能であれば、無実として出所したい。悔しい思いだけが残る
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JP氏の刑務所に入るまでの記録

JPのプロフィールそしてこの牢獄での生活が始まるまでの記録を書き記しました。

氏名  JP
住所  高知県
罪名  強姦罪 4回
刑期  RECLUSION PERPETUA ×4(永久)
    *最長2029年8月22日までの不定期刑
    20年~40年×4回=80~160年
    40年以上の有罪刑が無い
    刑期の計算
    入所後 1~3年は1年プラス60日=3年プラス180日
3~7年は1年プラス96日=4年プラス384日
7~10年は1年プラス120日=3年プラス360日
10年~は1年プラス180日で計算する
    Reclusion Perpetuaは
        服役年数役12~13で減刑の申請が出来る
裁判所  セブ州ダナオ地方裁判所25支所
事件番号 1793.1794.1795.1796
弁護人  WALTER LAWAS(宣誓供述書のみ。公判出廷なし)
     JOSELITO ALO
通訳   旅行ガイド、元エンターティナー女性
告訴人  GARLIEN C PEREZ
検察官  GENEROSO CAPUYAN 途中DSWDからのリクエストで除外
FELIXBERTO GEROMO
裁判長  ESPERIDAON C RIVERAL 退職
臨時裁判長 MEINRADO P PAREDEA 公判2回判決
     (DSWD 社会福祉開発省)


逮捕、判決までの経緯
1996年8月15,16日とセブ州北部有る小島(ダアーンバタヤン)に行くえ不明の内縁の妻の父が居るとの事で居場所を知っている従兄弟と私と内縁の妻と3人で来ました。1泊泊まりで16日午後父を含む4人でダナオ市の私のアパートに帰ってきました。18日父親は1週間位で帰って来ると言って帰島しました。5日後ノ23日父親は私達の居るアパートに帰ってきました。娘と一緒に同居、原則には私も賛成しました。父親と私の内妻は10年以上も会っていなかったとの事で本当に嬉しそうで毎日話しをしたり、料理をしたりでした。父親が酒飲みのため私も一緒に少しの量だけ付き合ったりして、日々を過ごしました。
9月4日内妻の義父と娘2人(一人は告訴人)と計3人でアパートに来ました。      私が9月8日、日本に帰るまで一緒に居ることで私を入れ計6人の一時的な同居が始まりました。7日には母親が来るまでに成りました。何とかケンカ等の問題無人の日々が過ぎました。9月8日早朝5時に全員でセブ国際空港まで見送りに来てくれました。
8月に仮に私が告訴人を強姦する事が出来るのなら。18日午後~23日午前まで。(図1)を見れば分かるように、声を少し出せば必ず誰かに分かるはずです。しかし5日間は私には証明する物が在りません。法廷でも何時とかの日時がありませんので証明が出来ません。
11月15日、日本の住所に内妻から長女が7日に生まれたと電報が届きました。17日にセブのアパートに行った所、知らない人が居ました。話では内妻はアパートを引き払って、彼女の実の姉の嫁ぎ先のサンダヨンという山村に居るとの事、夕方5時30分位いでした。タクシーの運転手に訳を言って何とかサンダヨンまで行って頂きました。道中は道と言える道も無い所で無理矢理行ってもらいました。姉の嫁ぎ先に着いたのは夜の7時30分位、回りに民家は二、三軒の山村、近所の方が気付いて内妻を呼んで頂きました。その夜は内妻、長女、告訴人と一緒にセブ市内のホテルに1泊しました。次の日またダナオ市に戻り新しいアパートを探し、又セブのホテルに泊まるを繰り返し24日に新しくアパートを借りる事になりました。※3月13日まで告訴人の件と関係無し省略。
1997年4月9日フィリピン、セブ州ダナオ市のアパートに直行、アパートに入ると内妻、長女、メイドのバールジィ、内妻の友人のシャネットが私を迎えてくれました。告訴人は4日から姉の嫁ぎ先に手伝いに行っていること(姉が水疱瘡の為)
10日 午前10時位、姉と夫、子供2人、告訴人がアパートに来る。4時位に洗濯があるので嫁ぎ先に帰って行きました。
11日私、内妻、長女とセブ市に行く(以前からメイドのバールジィに次に私が帰ってきたときは、彼女の田舎(ビサヤ)に行く飛行機のチケットと休みをあげる約束をしてたので飛行機のチケットを買う為)午後4時過ぎにアパートに帰って来る。同時に告訴人も姉の所から帰って来ました。夜は近くの日本人(I日本から同行)のアパートへ行ったり来たりしていました。
12日 午前5時に空港へ見送り、午後5時位に帰る。Iのアパートに通約の為、行ったり来たり。
13日 午前10時位からIの所へ出入り(通約の為)午後5時位、内妻の母と叔母、夫、子供、2人が来ました。話しをしたり、食事したり、酒を飲んだりした後、9時位に帰っていく。
14日 午前7時に内妻の母親が来る。私、内妻、長女、母、告訴人とセブ市に行く。午後4時位に帰る。夕方、Iの事で女性が来る。通訳、1万ペソをIに貸し女性に支払い帰って頂く。夕方、母が帰る。
15日 母親が私達と同居を願う。午前9時位に荷物を持って来る。夕方、メイドが彼女の姉の夫と田舎から帰って来る。一緒に酒を飲む。
16日 午前中、Iが来る。彼の明日の誕生日の相談、酒を飲む。
17日 朝からIの誕生日の為、彼のアパートに行く。午後10時位に帰る。
18日 Iの所のメイドが私を呼びに来る。一緒に酒を飲み午後10時位に帰る。
19日 明日のカモテス島(ダナオ市から南東に小型の船で2時間)に近所の人達と行く為に内妻、告訴人が朝から買出しに行く。午後6時位に近所に店を持っているN氏夫婦が来る。8時過ぎに帰る。
20日 午前7時にカモテス島へ行く。
21日 午後3時ごろアパートに帰って来る。長女少し熱が有る。全員が疲れた為、早く寝る。
22日 長女の熱が下がらず、近所の医者に往診に来てもらう。長女の看病をしつつ全員早くから寝る。12時位にテレビの音がするので早く寝る様に注意。
23日 長女の熱が下がらず、近所の別の医者に往診に来てもらう。彼は小児科専門と知り合いから聞き、告訴人に呼びに行ってもらう。応診の結果、前の医者の処方した薬が子供には非常に強いとの事、大人の薬を処方していた。夜、Iが日本に帰るための相談。
24日 Iのメイドが呼びに来る。日本に帰る為の飛行機代の相談。酒を飲み夜10時位に帰る。
25日 午前10時位から、私、内妻、I、彼女とセブ市にチケットの予約に行く。アパートに帰って来るなり熱が出る。
26日 私は高熱のため、近所の医者に往診してもらう。午後から2、3回安否を気遣いIが来くる。
27日 又、往診に来てもらい、点滴をしてもらう。午後2時~10時位まで点滴、午後から数回、Iと知人が安否を気遣い来る。
28日 目眩、熱が有り、Iが時々安否を気遣い来る。早く寝る。
29日 午前7時位、姉が来る。洗濯多しとの事で告訴人に手伝い求め、一緒に姉の嫁ぐ先に行く。
30日 まだ体調が優れず、午前10時位、Iが来る。夕方、パンの手産
※ 以上が4月の私の行動です。3日連続で3回も強姦は無理と思います。
※ 尚、告訴人は訴えで強姦をされた日時が無し、月だけでどうして有罪に出来るのか?又、告訴人は強姦された時、学校の制服を着ていたとの供述、4月はフィリピンの学校は全て夏期休校です。又、3回の内1回は外の庭を母親が清掃していたとの事、私が居た部屋は外から中が見える。ましてガラス窓でないので少し声を出せば、母親に聞こえたはず。アパートを替わるごとに一緒に来た。等々と不快な点がある。

5月7日 Iが日本に帰る。
9日 ジンジンコンパウンドに引越しする。3号室に入室、4号室は日本人のO岡氏。
13日 酒に酔って私は内妻とケンカ、内妻の頭を縫うほどの怪我をさせてしまう。
18日 メイドが給料を催促して来た。初めての事。
20日 メイドと告訴人が早朝から家出、内妻と長女を連れてセブ市に探しに行く
24日 ケソール(告訴人の実家)に内妻が探しに行く、午後アパートに帰って来るが長女を連れて私のパスポートと現金を持って出て行きました。2,3日後、近所の人から内妻と告訴人が私を警察に訴えたのこと(強姦罪)、私は何もしていないから、問題が無いので、有難うと言って帰ってもらいました。数日後、裁判所からの呼び出し状が、来ました。私は知人に説明して、どうすれば良いかアドバイスをお願いしました。近所にワルサーと言う弁護士が居るからと知人は、私を弁護士の所に連れて行ってくらました。一応の話を終え、私の反論供述書を作って頂き、後日裁判所に行き、告訴人とDSWSと話し合いをしました。先方は訴えを取り下げないとの事。結局、逮捕状が出ました。ワルサー弁護士に仮に逮捕になれば保釈は取れるかとの私の質問に2、3年拘置所に居て、それから、出してやると言われ、解雇しました。
知り合いが、副市長と仲が良いとの事で相談に行きました。副市長は気のよい人で、彼の同級生のアロー弁護士を紹介してもらい、後日、アロー弁護士に会い行き話しをしました。本当に私が強姦をしていないなら、弁護を引き受けると言って、彼を雇いました。その後、知り合いに裁判長のESPEIDION RIVERALと検察官のGENEROSO CAPUYANを紹介してもらいました。知人はやはり比処フィリピンはコネが無いと弱いと私にアドバイス、知人に連れられ裁判長の自宅に挨拶に行きました。彼は私に対しての逮捕状を出した人を知り、初めはビックリしてましたが、話を聞き問題無し、無罪に成ると言ってくれました。後日(レッチョンと洋酒と少しのお金を届けに行きました)。数日後、今度は検察官に挨拶をする為、セブ市内のホテルに行きました。当日はセブ市全部の検察官の会、少しの間、話をして彼も裁判長と同じ問題無し、無罪に成るとの事
※ 後に検察官はDSWSのリクエストにより私達の法廷を除外されました。裁判長も又、判決前に退職しました。数日が過ぎ、私は知人に内縁の妻と子供に会って話をしたいと相談しました。彼はどうなるか分からないが、DSWSに行ってみるよとの事。私は逮捕状が出ている身分、本来は会える訳がありません。知人と彼の奥さんが、面会するとの名目。私は車の後部座席に身を潜めて場内に潜入。思った以上に簡単でした。内妻は初め恐る恐る出て来ました。私の居るのに気が付き混乱し、知人が、話が出来る状態まで落ち着かせてくれ、何とか話が出来ました。内妻は自分達のした事を謝り、早期にDSWSを出て私の所に帰って来ると言いました。
※ 後日、私が保釈中、告訴人に会った時、彼女も2、3回DSWSを出ようとしたが、捕まり、職員からは、もし告訴を取り下げる事が有ればなど色々と脅かされて、怖くてDSWSの職員の言う事を聞くしかなかったとの事。事実、警察では1回の強姦が、DSWSによって3回も増えた。
9月1日 私はセブ市に有るSMデパート内の銀行へ、カットムーンと言うセブ島北部に在る町(身を隠して所)から出向いていました。SMデパートの駐車場に着いた時、当時のセブ警察のCIS部署に逮捕されました。CISの取調べは無く、私物は全部取られました。一緒に居た知人が弁護士に連絡をして、翌日、面会に来ました。あと地方新聞社2社が来て、写真を撮られて少しのインタビュー、私は強姦を否定しました。
9月3日 ダナオ市に移送されました、9月10日、16日、19日と公判をし保釈されました。
※ 後日、保釈に理由を尋ねると強い証言、証拠が無いとの事、日本では起訴も出来ません。12万ペソの保釈金(40万円弱)は私にはありませんでした。知人が土地を担保にして保釈してくれました。
約4年の保釈の間、裁判をして2001年7月16日が判決日に決まりました。16日当日の判決は20日に延期との事。理由は事件当時、告訴人の年齢がわからない。12歳の時では刑の重さが大きい。
20日 弁護士は時間になっても来ない。電話をするとタイヤがパンクとの事で結局、法廷に居合わせた他の弁護士が私の判決文を聞くとの事、私は何も分からないまま終了しました。手錠を掛けられ拘置所に帰りました。夕方になって弁護士がきました。彼の一言目はもう一度保釈を取るとの事。私は一言、もういいです。帰ってください、あなた方の事が、信じられません。控訴もしなくていいです。モンテンルパに行きます。その翌日、大使館の電話番号も分からず、手持ちの本にS山さんの電話番号が在ったのでフィリピン在住、セブに近いと思って電話したが通じない、O昭さんに電話するが通じない。やっと分かったのがセブの日本領事館、電話すると出ました。近日中に行けると思いますとの返事。
結局は、翌日にロボットみたいな爺さんが来ました。面会は10分以内、名前、年齢、住所、罪名
マニュアル通りの質問が終わり、じゃあ頑張ってねと。帰って行きました。
8月19日 セブ港からフェリーでマニラに出発(囚人3名、刑務官4名、内縁、子供2人、母親、全ての家財を売って、最小限のバック7個)
20日 マニラ港着、昼ごろモンテンルパ刑務所RDCに着きました。10日位して当時の領事が面会に来ました。弁護士等の相談しましたが、領事からの返事は、大使館は何も出来ないとの事。母親からの送金手段を聞くと大使館は銀行では、ありませんの一言でした。後は言葉も出ません。10分弱で私は面会を放棄した部屋に帰りました。

冤罪で捕まった者の事考えた事有りますか?冤罪で捕まって居る者の寂しさ、苦しさが分かりますか?誰も信じられなくなり自殺まで考えた者の気持ち、分からないですよね。逮捕されたから、有罪判決になったからと言って、犯罪者扱いするのはどうでしょう。この様な事は、在フィリピン大使館だけですか?大使館職員だけの考えでしょうか?邦人保護とは、どの様な業務の意味を持っているのでしょう?事件、事故に巻き込まれたリ、でっち上げの事件で逮捕された者も居ます。在日本国大使館は立場から、自国民の保護、救済のため、事実関係を調査し、その現実に元ずいて、早期の措置を講じてほしいと思います。信頼を得る大使館ではなく、信頼出来る大使館になって頂きたい。

獄中 ギャングA VS ギャングB

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。
早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


このたびJP,PJ両名が今後牢獄で生き抜く手段として支援者、親兄弟の寄付だけではなく、自立?
収入を作りたいということで、刑務所内で作られる製品?をここを使い売ることはできませんか?
と投げかけられ、獄中通信販売??みたいなものをテストで作ってみた。

まだ工事中で中途半端ですが完成させて彼らのビジネス?に一役のってみようとここの協力者の人達と打ち合わせさせていただき決めました。

そしてスポンサー様、協力者様のバナーを作成はらさせていただきたくさんの方との協力体制の中ここを運営させていただこうかと考えております。皆さんのご協力ご支援心よりお待ち申しております。
  ↓  ↓  ↓
http://monten.rakurakuhp.net/

獄中日記
今日、管理人様ら4名の方がご訪問下さった。皆様の数々の貴重な御言葉に感謝しています。又、日本の書籍を御持参下さり、本当に有り難いと思います。刑務所内では絶対に入手できない物です。管理人 J様 が話された、バラバの件は偶然でした。2002年に僕がミデゥム(中期刑)にて服役してた時、日本人の服役囚M田さんから、頂いた聖書が、そのバラバのメンバー2000年に訪問された時にいただいたと聞いていました。
今日、フィリピン人から聞いた話しだが、隣りの房の房長の内縁の妻の子世である。内縁の妻は以前に土地27ヘクタールを担保に融資を受けていた。ところが、今度はその土地を400万ペソ(1000万円)で売却してしまった。売却し受け取った現金は家族で分配したそうだ。土地の購入者は、土地が担保になっていることを知り、告訴する様だ。房長も内縁の妻もビクビクしている。400万ペソ返金しなければ逮捕されるだろう。房長にしてみたら面会者は、皆無に等しいし、内縁の妻と家族は詐欺罪として12年から20年の刑期だろう。昨日の夜、PJが最近マキシム(長期刑)も静かだから、近々トラブルが有ると言っていた。大きい事件ではないが、僕らの居室の真上の房の房長が飲酒し、酔っ払っている所を看守に発見され、ガードハウスに連れ込まれ、素手、棒で滅多打ちにされたらしい。殺されたかは現時点では不明。生きていたとしても、房長の座を失い、パトリーナ(懲罰房)か地方の労働刑務所へ飛ぶだろう。この房長は覚せい剤中毒で金があれば覚せい剤にふけっている。
スティン・イン(妻子の宿泊)中のトラブルで思い出すのは、2006年12月末のことだ。原因は、ビルディング3のギャング・グループ、ハッピー・ゴー・ラッキーの中国人がビルディング13のギャング・グループ、バタン・セブの人間に大麻を売った事から始まる。バタン・セブのメンバーは1本100ペソ(250円)の大麻を買い500ペソ紙幣で支払った、しかしハッピー・ゴー・ラッキーの中国人はつり銭を渡さなかった。その内、口論となり、その後、ギャング・グループ間の争いになった。両グループは武器を持ち出した、手製ショットガン、マシンガン、ナイフを使用し戦争状態に突入した。そこへ看守が散弾銃を発砲、みんな走って逃げ回った、僕も一緒に走り逃げた。看守は容赦なく発砲する。最後に残ったのは、死体が3体。この日のスティン・インの面会者に被害が無くよかった。PJから聞いた話だが、居室はガードハウスの近くで看守が威嚇射撃をした時、PJの娘2人は流れ弾の危険が有るので又、恐怖の為、床に伏せていたそうだ。PJも奥さんも顔を真っ青にして、ビビっていたとの事。日本でもなかなか体験出来ない事も、ここの刑務所では体験出来るのだ。

テーマ : (`д´)ウオォォォ!!
ジャンル : 日記

事件内容

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。
早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


このたびJP,PJ両名が今後牢獄で生き抜く手段として支援者、親兄弟の寄付だけではなく、自立?
収入を作りたいということで、刑務所内で作られる製品?をここを使い売ることはできませんか?
と投げかけられ、獄中通信販売??みたいなものをテストで作ってみた。

まだ工事中で中途半端ですが完成させて彼らのビジネス?に一役のってみようとここの協力者の人達と打ち合わせさせていただき決めました。

そしてスポンサー様、協力者様のバナーを作成はらさせていただきたくさんの方との協力体制の中ここを運営させていただこうかと考えております。皆さんのご協力ご支援心よりお待ち申しております。

獄中日記
起床後、僕は日課である、モーニング・デボーション(教会)に行き聖書の勉強をしている。今日はヨハネの手紙I2章6節から9節その中に(自分はクリスチャンだと言う人は、キリストと同じ生き方をすべきです)というお言葉がありました。別に自分が十字架に掛けられて死ぬと言う意味ではありません。全ての罪を取り除き、全ての人を愛する事がキリストと同じ生き方と僕自身理解しているが、これが実行出来ないのが、人間の弱さと思う。欲には、食欲、金欲、性欲、数々の欲がある。これらを自制することは、通常出来ないだろう。欲の為に争いが各地で発生しているし、傲慢となりコントロール不能となる。お互いに自減を待つだけである。イエス・キリストは我々の罪の為に自ら十字架に掛けられ死なれた、これこそ愛である。僕もクリスチャンと成り、まだ5年でまだまだ勉強不足だし、今すぐキリストと同じ行き方には、まだ程遠い。一生の間でと思った、少しでも近づく事は可能であろう。1ヶ月に1度、マカティ市のマニラ日本語教会の方々がご訪問下さり聖書について御指導を受けている。感謝するのみです。アーメン。
テレビを見ていると毎日何処かで強盗、殺人事件が発生しているが、必ずと言って良いほど犯人が射殺されている。フィリピンで人命第一という言葉が無いのだろうか。日本で言われる、日本警察の原則、罪をにくんで、人をにくまず。テレビニュースの報道でも、人権とか礼をいったものが感じられない。日本では逮捕された容疑者からインタビューは警察官がガードして一切出来ない、まして死体の撮影なども出来ない。フィリピンは容疑者のインタビュー等も放映するし、路上で射殺された死体までテレビで流す。犯罪者かも知れないが死者に対する礼、人権を尊重してもらいたい。フィリピンの裁判制度もアメリカを模範としたようだが、まったく利にかなっていない。裁判で被告人の情状等を考慮し、刑を下すが、フィリピンでは、ガイドブックを見て、殺人罪14年から20年、無期刑、覚せい剤OOg無期刑、大麻OOg無期刑、強姦罪回数2回無期刑2件、イリーガル、リクルートメント被害者3名無期刑、強盗罪無期刑とガイドブックを見て判決を言い渡す。
はっきり言って誰でも裁判官は出来る。僕の事件は詐欺罪だが金額が日本円で285万、裁判官は言う、5万ペソ(125.000円)で何年だから、合計すると禁固100年と言った。しかし詐欺罪の最高刑は12年から20年だから、そのまま12年から20年の刑を言い渡された。例えば日本で詐欺罪は4~5年かな。僕が日本在住の日本人から現金を借りたのは事実だが日本へ帰り返済する旨の約束が有ったのに何故フィリピンで逮捕されるのかと思った。日本であれば民事事件と思う。刑事事件にするには一つ理由がある。現金を貸した日本人の恋人フィリピン人がイリーガル、リクルートメントで多額の返済を求められ、現金が必要となったからである。ウワサでは1.800万ペソ(4.500万円)を得た裸子。それで僕を告訴すれば、支払うと思ったのでしょう。その女性の名は、B・サンチャゴ、現在、指名手配中。
日本人でPJは強姦罪として服役している。逮捕時は強姦1回での告訴であったが、司法機関での最後の結論は強姦罪4回で裁判でも無期刑4件の判決である。PJは裁判当初から無罪を訴えていた。今現在7年服役しているが、最近、告訴した女性から申し訳ない、私の告訴は事実無根であると証言してもよいと言っている。女性が裁判所へ出頭し調書を作成すれば数ヶ月で無罪として出所出来るが、その費用、裁判所の支払い、交通費、弁護士の支払いの金と苦労している。大麻事件で服役してる日本人は2名だが、昨年の暮れ拘置所から刑務所に移動して来た1名は無罪を主張している。所持を密告した者が存在するのかもしれないが、大麻を身に着けていたらしい。控訴しているが、結果はいかに。裁判での判決は無期、年齢は40歳、サーフィンで各国を旅行した様だ。次にサーフィンが出来るのは60歳位かな。ここで書く名前はチューブ。この大麻事件は他から聞いたもので、事実関係は不明。大麻事件で聞いた事がある。日本人2人が大麻40kg所持で有罪となり、刑務所で服役していたそうだ。その方の名前はK、K村さんで控訴し、最終的には無罪で出所した。残された大麻は、誰の物で何処に行ってしまったのだろう。大麻が煙になり消えた。K村さんには、まだ、面白い事件がある。拳銃の弾を持ち帰ろうとして、腰に弾を巻いて空港へ行き、当然の様に捕まった。罰金を払って、事件は一件落着。K村さんは今、日本で暮らしているが、フィリピンには、奥さんが居りK村さんの来る日を待っている。K村さんには、まだまだユニークな話がある。元々、足が不自由だが生活には支障がない。K村さんは、病院へ入院する為、大演技を打った。人が多数集まる公園で、倒れ病院へ担ぎこまれ、出所まで病院で入院していた。シャワーはみんなが寝た後に、こっそりと、仮病がばれるからである。K村さんは出所後、インターポール同伴で帰国、国際手配の切符を持参のうえ。事件は旅券法、ほかに銃刀法、又は火取法と聞いた。
又、マニラ市拘置所にも過去、傷害致死で拘留されていた、M田氏、N村、その他が、被害者家族と示談が成立し、保釈となった。日本円で数百万円らしい。日本で傷害致死で、示談は有りますか?殴り殺しているのに。やはりM田氏は、日本からの国際手配で帰国しました。事件は殺人死体遺棄と思います。現在もK本刑務所で服役中です。事件は別として気の毒ですよ。本人はフィリピンの妻子の事を心配していたが、当の本人は、男を次から次へと変えている。フィリピンで言うパロパロ(蝶)ですョ。男なら花から花へだけど女の場合は何と言ったら良いのだろう。小枝から大枝へでも言っておきましょう

懲役囚の希望

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。
彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。
ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、
最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


過去に放映された刑務所内の実態ドキュメント現在ここの管理人さんのお一人管理人Jさんが撮影コーディネート、製作に加わった番組、

懲役のない刑務所 ~フィリピンの日本人死刑囚~
2004年10月13日(水) 03:00~03:55 放送 (2004年10月12日(火) 27:00~27:55 放送)
【再】2006年3月5日(日) 02:40~03:40 放送 (2006年3月4日(土) 26:40~27:40 放送)
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フィリピンの日本人死刑囚へジャン プ

昨日リーアルミッションファンデーションへ活躍期待しています、がんばってくださいと、リゾカジグループの西遊記様がここ春一同さまからと寄付金をお持ちいただいた、代表のナオ様はじめ皆様ここをお借りして心よりお礼を申し上げいたします。ありがとうございました。

寄付


 獄中日記

今日の天候は、早朝パラッと小雨が降ったが、青空が広がり暑い一日であった。しかし夕方が雷と共に雨が降り出した。フィリピンの自宅に電話した。義母が電話口に出た。子供、次女が風邪気味らしい、体調が良くなれば面会に来ると言っていたが、会いたいのが本心だが無理しないでほしい。子供と再会するのは、約5年ぶりに成る。今6歳、7月22日で7歳の誕生日を迎える。僕のことを覚えているか心配である。何を話したら良いのか、思い浮かばない、血のつながった我が子だから気持ちが通じ合えば良いのだが。長女は今9歳、最後に会った時は4歳だから、僕の事を憶えていると思う。一日も早く会いたい。
でも生活費、学費等、渡して上げられないのが情けない。日本では14年前に離婚した子供は男の子2人で、今、長男23歳、次男21歳である。離婚した当初、長男は僕が引き取り9歳~12歳まで、僕と2人で生活していた。3度の食事、遠足、運動会、サッカーの練習、試合にも同行した。一般家庭の様に食事を用意し参加した。毎週日曜日は2人でドライブ、カートに乗車し子供と競争した事も、又、日光や千葉県まで魚釣り、キャンプそして小学校の卒業記念として、子供とサイパンへも行った。トローリング、パラセーリング、ガンの射撃など、日本では経験出来ない事を体験させた。子供が13歳の時、母親の元に返し、1年に1度2人の子供が夏休みに上京し再会した。旅行を楽しんだ事が思い出される。今、僕が刑務所に居るとは、とても言えない。。
子供二人は、すでに成人だが、僕の心の中では別れた時の年齢のままである。あの時離婚していなかったら、ぼくはフィリピンの刑務所には入っていなかったと後悔しても遅い。
今の妻と結婚したからこそ、二人の娘に恵まれたのだから。妻を愛し、子供を愛し、1日も早く4人で暮らせるように、また、4人で日本へ行くことが出来る様に希望をいだいている。
今日のあさ、ミディァム・セキュリティー・コンパンド(中期刑)での知り合いに会った。彼は2005年に仮出所したのになぜ、マキシム・セキュリティー・コンパンド(長期刑)に居るのか聞いてみた。仮出所後、話し合い中に口論となり、包丁で3度刺して殺害したらしい。酒は飲んでいなかった、ただ高血圧で頭に血が昇ったらしい。以前、高血圧で倒れ左足が弱干、不自由になった。本人言く、出所は2028年だそうだ。彼は今、33歳で出所は53歳とまだまだ働く事は出来る。健康管理に万全の注意をしなければいけない。刑務所内の病院では年間約150人位が死亡している。病院だからっと言って安心しては、命取りとなる。血液採取、注射、点滴は看護婦や看護士ではない。囚人が行っている。今は注射器は1度で捨てているが、以前は使い回し、伝染する病気、エイズ、性病、肝炎は危険である。過去、刑務所の病院では肝臓の販売希望者から肝臓を摘出し所外へ販売していた。囚人の手取り額は3万ペソ(7,500円位)から5万ペソ(12万5千円位)で売買されていた様だ。しかし実際の売買金額ははるかに高いと思う。日本であれば数百万から数千万位するのでは、その点は分からないが、日本でも他の国でも肝臓移植を必要する方が多い。フィリピンも原則として禁止している様だが闇の世界では例外で販売されている。精神病の房が在るが常時70~80名は入房している。少々安定すると一般の房舎は戻る。しかしいつ精神に異常が発生するか心配である。寝ている間に刺される可能性もある、放火することも考えられる。フィリピンでは逮捕時に精神異常の疑いの者に対して精神鑑定は無いのだろうか?裁判でも判決に大きく左右すると思うが。
証拠品の保全もズサンである。犯行に使われた銃器を素手で触ったり、裁判中でも証拠品が紛失する事もある。フィリピンは自白は証拠となるが、日本は自白は参考までで証拠としては認められない。日本とフィリピンの裁判の形は違う。日本は無罪からスタートし、証人、証拠品等で犯罪を裏付ける。しかしフィリピンは有罪からスタートする、被告人側が自分が無罪と成る様な証人、証拠品を発見、提出しなければ、有罪と成る確率が高い。日本は、疑わしき罰せず、フィリピンでは、疑わしきものは罰する。多分、日本で裁判を行えば3分の1は無罪でしょう。例えばAと言う女性がBの男性に強姦されたと告訴された場合、間違いなく有罪で無期刑だろう。又、警察官等、現金を脅し取ろうとした場合、外国人の乗車する車、バック類に覚せい剤、大麻、ヘロイン、コカインを投げ入れ、薬物の不法所持で逮捕する。と言われたら、それはビックリするだろう。その後、20万ペソ(約50万円)とか100万ペソ(約250万円)支払えば示談にすると言われたら、刑務所で15年以上服役する事を考えれば、泣く泣く現金を渡すだろう。フィリピンは悪徳警官がゴロゴロしている。警察官自身も凶悪犯罪を犯すし、薬物乱用者も多数存在する。
年に1~2回警察官に対する薬物検査も行ってはいる、でもこの検査で告発されるのは、ほんの一部。検査員に現金を渡すか、他人の尿を入れれば良いのだから、正直者はバカを見る。警察官の囚人、未決囚を合わせたら500人を下らないと思う。日本の警察官は数人でしょう。
今日の食事
朝食、フィリピン風のおかゆ

刑務所内処刑

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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過去に放映された刑務所内の実態ドキュメント現在ここの管理人さんのお一人管理人Jさんが撮影コーディネート、製作に加わった番組、

懲役のない刑務所 ~フィリピンの日本人死刑囚~
2004年10月13日(水) 03:00~03:55 放送 (2004年10月12日(火) 27:00~27:55 放送)
【再】2006年3月5日(日) 02:40~03:40 放送 (2006年3月4日(土) 26:40~27:40 放送)
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獄中日記

今日は1日、雨で涼しい日であった。又ホコリもたたず気持ちが良い、昼から雨は上がり曇りに。
僕は刑務所生活をしていて、警察官、軍関係者が多数である事に驚く。薬物、殺人、強盗、誘拐の凶悪犯罪が占める。
日本の警察の不祥事は日本全体を見ても数件であろう。ワイセツ行為、酔っ払い運転による事故、万引き程度と思う。過去には東京世田谷経堂の松山事件、巡査が巡回中に女子大生を殺害した事件。警察官がホステスを殺害した凶悪事件も発生しているが、フィリピンには比べ物に成らない。日本の警察は人命尊重し、被害所の救出を第一とし、犯人の逮捕が職務である。フィリピンの警察(PNP)は違う。
何でも勘でも発砲し、犯人であろうが被害者であろうが射殺する。逮捕しても拷問はすさまじい。手の指の間に木製の棒を入れ、力強く握る。指は骨折する。殴る、蹴る。囚人中には多数の身体障害者が存在する。殴る蹴るは当たり前。逮捕される前に被害者、被害者の身内の者による私刑も有り、腕の切断、足の切断、目を潰す等の私刑を実行している。今でも両足切断(太ももから)され、車椅子生活を送っている者も居る。
刑務所でも同じである。
2003年に発生した事件で、あるギャンググループのボスの所へ妻子が面会に来た。子供(女の子6歳)で、その子は同じグループの人間が面倒を見ていた。数時間後、母親が異変に気がついた、女の子の下着が汚れてる(精液)、母親は子供に聞いたところ(おじさんにオシッコかけられた)と話した。母親は直ちに父親に全てを告げた。その夜、父親(ギャングのボス)は、本人を呼び出し、鉄の棒で頭を殴った。頭はパクッリと口を開き、おびただしい出血、その後、手足の爪を全て剥ぎ取り、ラストはジュニアを切断し口の中に押し込んだ。本人が逃げないように、す巻きにし、朝まで放置した、すでに死亡していた。刑務所は捜査するが、別人が犯人として出頭し、裁判では無期刑。グループのボスは、月々の生活費を支払う約束が出来ていた。2004年ボスは出所したが、約3ヶ月たったころ殺された。このボスは刑務所内で合計3名を殺害している。殺人犯の身代わりと成った人間は、生活費が途切れ、苦渋をかんでいた。
アァ!!そうだ今日、午前中、日本人囚人 S、とO,とAさんに会った。Sは日増しに痩せている。顔色も悪く皮膚も乾燥気味、金が廻ってない様だ。新しいターゲットを物色中だろうなぁ~。観光客が来れば、泣き落としで現金をゲットする。大の大人が平気で人前で涙を流す。アカデミー賞の主演男優賞、オスカー並み。それ以上かも。Aさんに会い元気ですか?何処へ行くのと、え~事務所まで、僕がもうすぐ出所ですねと言うと
え~もうすぐです。とAさんが言った。もう4年前から聞いている言葉じゃないか。彼は前から心臓病で、治療による刑の停止申請をしている。数年前に治療は完治している。心臓病ではない、血管か詰まった程度でした。もし心臓病だったら、ジョキング、卓球は出来ないでしょう。心臓が弱ければ、次々と他人の子供を自分の子供としいて認知しないでしょう。反対に心臓に毛が生えている位、心臓は強いと思います。多分今でもやってると思うが、囚人の中に、マルコス時代の隠し銀行口座を現金化しようとしている。Aさんもそれを信じ、いろいろと動いている。僕も一度書類を見たことが有るが、東京三菱、UFJ、三和、三井住友、スイス銀行、香港、アメリカの口座である。東京三菱銀行だけでも1兆円以上、三和銀行でも、金証券20ミリオンドルが10枚とか、合計するとフィリピンの年間予算を上回ると思う。
この話を内外の者に信用させ、お金を得る。1種の詐欺ですね。他にも有る、太平洋戦争時代のアメリカ発行の軍票、ウェスドン、ファルドンとかビクトリーの話もあり、額面だけでも600億ドルと言った話も有る、騙す方も凄いが、騙されるバカも居る。フィリピンでは今でも、山下将軍の金の話がある。地図を持って来たり、暗号の記号が書かれた物等持参して来る。フィリピン全土を掘れば金が出るかもしれないが、資金がかなり掛かる。
1999年に長野県出身の方で、バターンで金探しえ押している老人に会った事がある。1年で数百万を投資している。現地人の給料、資材等の費用である、もう15年は金探しをしている。結婚ビザを取得する為にC市の女性と偽装結婚もしている。会社の退職金を全て投資している。金の延べ棒が1本でも出ればよいが、出なければ自分が穴に埋もれちゃうよ。
僕が2001年から20002年、入国管理事務所の拘置施設(BID)で暮らし他が、そこでも日本人が、ハイ・イードル銀行証券の売買の話を持ってきた。H島氏、М城氏、Y辺氏、それにフィリピン人でべラスコが来て説明した。銀行発行の1000万ドルの証券を5000万円で購入し、ハイ・イードルのコンピュータ情報を元に売買し、利益を得るらしい。1日で億単位の利益が有ると言っていたが、その話が本当なら、全世界の長者がやらない訳が無い。美味しい話しには、気を着けなければいけない。入国管理事務所の拘置施設(BID)はフィリピンらしい。金が有れば外の世界と全く同じ、金を支払えば、デパートへの買い物、夜、ビデオケの店に行って飲酒、自分の自宅へ帰ることも出来る。射撃場は行って射撃も可能、隣で警察官が射撃訓練しているが。
事件により拘置されている者は1回の裁判で弁護士費用2000ペソ(約5000円)職員によるエスコート2000ペソ、ガソリン代500ペソ(約1200円)食事代、日本人の場合、日本食レストランで食事、合計すると日本円で2万円以上が必要だ。職員のよるエスコート費は職務だから必要ないし、ガソリンも役所で支払うので不要、全て職員のポケットに、、、、。
拘置所で禁止されている物は全て職員が持ち込んでくる。覚せい剤、酒、女、ギャンブル、職員は大きな金を得ている。逃亡の協力もしてくれる。裁判へ出所する際、途中で車を下車するか裁判所からそのまま逃がしてくれる。
それには、まとまったお金が必要だ。職員が免職になった場合の生活費が必要だから、一般的に100万ペソ(250万円位)と言われていた。
強制送還から仮出所とするためには当時30万ペソ(約75万円)、この金を払えば出れた。
しかし中には弁護士が騙し取る例も多くある。国際手配も関係ない、日本人で、偽装紙幣1億円で指名手配の切符が出ていても、強制送還にならず、仮出所している。
なぜ、すぐ強制送還されなかったか、それは、フィリピン国内で架空の事件を作れば良い。強制送還にはならない。その架空事件に協力する日本人は、I上氏、BIDの拘留生活は10年を越えている。本人も架空事件で強制送還されていない、やはり、日本からの国際手配となっている。
罪名は強盗教。このI上氏は新しく入所する日本人、外国人に仮出所の話を持ち込み50万円、100万円、200万円と騙し取っている。
BIRで10年以上拘留されている事を考えると、日本で刑務所へ入ったとしても、もう満期で出所していたであろう。
BIDにもし入る可能性のある方は、I上氏にはご注意ください。
彼は最初に俺は前にイミグレーションに務めていたから、コネがある。
この言葉が黄色信号。
今日の食事

朝食、コッペパン1個
昼食、牛の腸のような物(4×4㎝位、野菜はバナナの花のつぼみ)
夕食、イワシの缶詰め半分

獄中死亡の邦人裏口出所

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙2


獄中日記

今日は、晴れ上がり、暑い1日だあった。日本は梅雨期で、ジメジメとし蒸し暑い又、カビ臭い頃だろう。しかし今は、懐かしく感じられる。日本を離れ10年が過ぎ、10年一昔と言うが、帰国後、電話の掛け方、電車の乗り方、その他、色々塗、不自由するだろう。フィリピン人旅行者の様なものだろう。我々も1種のフィリピン人化しているにかも知れない。日本へ帰るが、日本へ行くと言い換えた方が良いかも。喜び反面、不安が有る事は事実。
本日から7月に入り、8月15日は終戦記念日が間近かとなった。今年も昨年と同じ様に墓地の清掃と感謝、慰霊を捧げたいと思う。本来、囚人は、裁判、病院等以外、特別な理由が、無い限り、刑務所の外へ出る事は不可能であるが、しかしここ、フィリピン社会は違う。お金により、許可はもらえる。どんな事であろうと。ビデオカメラ、カメラの持ち込みも同様である。金が全ての国ですから、人の命よりも金が大切と言う国です。人を殺しても、8年から16年の判決の者もいる。詐欺罪の者は12年から20年とか無期、金銭関係は厳しい。
そう言えば、1年位前に出所したOさんは、今でも日本に帰国する事が出来ない。現在79歳と思う。帰国の為、一時入国管理事務所の拘置所にて拘束されていた。法務省のガイドラインでは、70才以上の者、外国人とか点数が打ち出されているが、未処理事件が、発覚しては無理だ。同じ東京出身の僕から見ても気の毒である。しかし自分には何もしてあげられない。但し、早期に帰国し、残された余生を送っていただきたい。口癖の様に言っていた事だが(日本で離婚した、元妻が待っている)と話していたが、以前にガンの病意で病床に着いている。現在も生存しているかは、不明である。日本人の未決因でも、死亡しても遺骨の引き取り人が無く、フィリピンで無縁仏として埋葬されている例も有る。
フィリピン人でも同様、刑務所で死亡した場合、家族等へは連絡するが、引き取り人が無い場合、米袋に入れ無縁墓地に埋葬する、人間扱いしていない。犬、猫、ゴミと同じだ。こんな所で犬死にはしたくない。畳の上とは言わないが、日本の地で、これがフィリピンに服役している日本人の総意であると思う。囚人に限らずフィリピン在住の日本人も同じだと思う。
今日の食事
朝食、ソウパス(マカロニのミルク煮、ミルクが足りなく味がない)
昼食、豚のシニガンスープ(酸っぱいスープに豚の脂肪2.5×2.5㎝位)
夕食、生イワシ1匹(いつもの様にホルマリン漬け)
日本食が食べたい、何でもいい、味噌汁、おしんこ、とんかつ、コロッケ、そば、うどん、刺身、寿司。本当に、何でもいいから日本食だ。やっぱり日本米だ。日本米ならおかずはいらない。


今日は朝から曇り時々日を差すが又、小雨も降る。1日であった。
今日、午前中、ミディァム・セキュリティー・コンパンドで一緒であったフィリピン人に会った。名前はジョエル、年齢は25か26歳と思う、彼の事件は、殺人と死体遺棄である。共犯者は、全員で7名。全員、親子である。近所の家とのトラブルで相手を殺害し、死体をバラバラに解体したとの事である。父親と子供4名は逮捕されたが、2名は逃走し、現在・指名手配中。
親子共犯の事件で思い出したが、同じ房に親子で強姦というのもある。自分の養女を父親が強姦し、子供の同じく強姦した事件である。父親の判決は死刑。しかし死刑制度が廃止されたので、今は無期、子供の方は無期、フィリピンでの判決が無期でも、12~15年で仮出所する。でも、フィリピンは強姦罪で服役している囚人が多い。日本からは考えられる強姦とは違う。自分の子供を強姦する例が多い。人間ではない。犬、猫、ネズミならまだしも。自分の子供をレイプするとは。。。
日本人でも2人ほど、変態が存在していました。二人供出所しましたが、1名は出所といっても天国へ出所しました。地獄かもしれませんが。幼児に対する性的いたずらです。男、女は関係なし、子供なら誰でもいいのです。亡くなった方の事をあまり書くと、夜が怖いので、これまでに。。。もう一人は当時65歳、I県のM下さんです。生後八ヶ月の赤ん坊に自分のジュニアをOOOOさせた事件です。本人は無罪を主張していましたが、ビデオカメラで撮影されていたので、動かない証拠です。70歳を過ぎ、大統領恩赦で出所し、今は日本です。M下さんが言ってました。(次は何処の国へ行こうかな)と日本でも、他国でも、事件を犯さなければ良いのですが。I県の人間はケチと言うが、確かにケチである。しかし、若い女の娘に、甘い声を掛けられると、財布が開く。十歳位の女の子には、キスしてくれたら20ペソ(約50円)あげると子供の親の前でも平気で言う。この変態ジジイ!!
変他で、頭に浮かぶのが、地元フィリピンの変態市長。その名はS氏。S氏は女性より男性が好みで、アベックがいたならば、二人を連れ去り、自分の手下に女性を自分は男性をレイプする。のち二人供殺してしまう。終身刑が9年、キング・オブ・変態オヤジ。又、アニマル系の変態も、カラバオ(水牛)、犬、猫、鶏、をレイプした者も居る。動物は告訴しない。同じ房で、2週間程前、白い猫をトイレでレイプした者もいる。他の者が言うには、出血したと喜んでいた。本当にバカなフィリピン人が多い。
日本の刑務所でも、よく行われている様だが、自分のジュニアに歯ブラシの柄で、玉を作り入れるらしいが、モンテンルーパ刑務所でも、入れる者がいる。プラスチェクの玉を入れる際、カミソリ包皮を切るが、深く切り過ぎる、血管まで切り不能に成ったそうだ。プラスチックのボールを入れても不能では、妻や彼女が逃げてしまうのがオチ。以前から思っていた事だが、フィリピン人の多くの者は会話は出来ても、読み書きが出来ない。70歳、80歳の老人ならまだしも、20歳から60歳の者でも、読み書きが出来ない者がいる。理由は色々有ると思うが、家庭生活が貧しいため、仕事をしなければいけないので、学校へは行かないのが多いだろう。日本人の囚人の中にも1人読み書きできない者がいる。日本人で昭和20年後半生まれで、読み書きできない。この日本人は人間国宝と言わざる負えない。昨日、日本人の象さん舎房の罪として、舎房からの外出が禁止となったそうだ。理由は借金問題、外出禁止は罰であるが、もう一つ身の安全の為でも有る。借金問題、食事関係で、殴り合いのケンカ、刺されたり、時には命を失う事も有る。昨年、支給食の量の多い少ないで殺人事件にまで発展した。大半の者は出所を待ち望んでいるが、中には、このまま刑務所生活をと望む者も居る。理由は出所しても帰る家が無い、仕事が無い、金が無い、それなら刑務所生活は天国だ。寝る所は有り、不足では有るが三度の食事は与えられる、仕事が無くても、生きていける。出所しても、又新しい犯罪を犯し、刑務所へ逆く戻り。確かに再犯率は高い。出所しても危険が共う被害者に復習され殺される。昨年、出所した者が1ヶ月も経過しないうちに、首と胴、二つに切断され殺された。
今日の食事
朝食、ご飯、イワシの乾燥させた物
昼食、野菜の煮物
夕食、生卵1個
今日の食事を計算してみると、ご飯9ペソ、イワシ3ペソ、玉子3.5ペソ、野菜の煮物4~5ペソ、合計20.50ペソ位、日本で50円弱、カロリーはどのくらいだろう?500カロリー有るかどうか??

日本人初の死刑判決

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


獄中日記

今日は昨日と打って変わって雲一つ無い快晴である。月曜日は面会も無く静かな1日である。今日の出来事としては、別に変わったことは無いが、午後5時に総点呼が行われた。通常の点呼は、1日3回午前5時、午前8時30分、午後5時30分である。職員は人数を聞くだけで、実際の数は、把握くしていない。月末位に総点呼が行われる。この点呼は全ての囚人が出る。一人一人名前を呼ばれたら、自分の囚人番号を告げる1カ月1回だから、例えば行え不明に成っても1カ月間は、発覚しないこともある。過去に殺された後、バラバラに切断されトイレに捨てられた事件が有ったが、直ぐに発覚しなかった。
この刑務所には、今、」日本人が7名居るが、中には事務所に(日本人観光客が来たから、私を呼んで下さい。受け取った現金の半分を払います)といった様に頼んでいる者もいる。僕に言わせれば(こじき)そんな日本人も居る。
食べる物にも、大変とか、(日本から送金が有るから、それまで貸して下さい)と金を騙し取る事を考えている。マスコミを通して、いろいろ日本国内から同情を受け、支援金等、受け取っているが、裏では違う(ヤッター)とばかり、スパーVIPといわんばかりに、金をばら撒く。
自分の子供を助けようと送金していた。今では年金暮らし。父親は病気で入院していたが、その治療費も送金した。父親は、まもなく病死した。
治療費まで送らせて、殺した様なものだ。
悪魔だ、実に自分の状況を考えず、自慢にも成らない。日本人初の死刑判決は、1980年代、コカイン罪のO田さんである。
19年間の刑所生活を終え2004年に出所した。O田さんの判決当時は死刑制度は廃止されていたが、あえて裁判長は死刑判決を言い渡した。
自動的に無期に落ち着いた。過去に死刑判決を下されても、自動で、最高裁への控訴なる。ほとんどが、無期に減刑される。今まで死刑が執行された者は、強姦、強姦殺人、強盗殺人で薬物によるし死刑が執行された事実は無い。
2006年に再度、死刑制度が廃止されたが、その後、凶悪犯罪が多発している、殺人、強盗、コカイン殺人、銀行強盗で行員、警備員9名を射殺した事件も記憶に新しい。事件に応じて、死刑制度を再開を望む。最近、テレビ、新聞を読んでも、毎日の様に凶悪事件が発生している。日本人の被害者も続出している。
フィリピンの警察の検挙率は低いから、犯罪天国だ。
刑務所には、日本人を被害者とする囚人が数名、服役さて居る。古くは、若王子さんの事件、オカマと日本人との三角関係からの殺人犯、もっと古いのは、岡田母子保険金目的殺人等が服役さている。MILF、アブサヤフ等テロリストも服役している。これらのテロリストは11番房舎に居房しているが、11番は、軍隊関係、警察関係者の居房である。面白いな~。また、故アキノ氏の暗殺犯とされている者達も11番房舎に、数名は病死、1名は70才以上と言う事で大統領、恩赦で出所している。仮出所の申請をしても出られない、裏で誰かが動いているのだろう。若王子さんの事件の犯人は今、1人は地方の労働刑務所へ、もう1人は、リビング・アウト、と言って、壁の外で、一年~二年以内に出所する為のリハビリテーションの様なものである。僕が中期刑ミディヨム・セキュリティー・コンパンドで服役していた時、会ったことが有るが、房長、並みのよい生活をしていた。岡田事件の殺人の仲介役O・クルーズとも会って話を聞いたことも有る。O・クルーズは、1980年代に刑務所から逃走し、偽装パスポートで日本へ渡航している。福島県たいら市の製造会社に勤務していた。そこで、日本人と知り合い、殺人の仲介役となった。
今日の食事
朝食、チョプラド(飯をおかゆ状にし、ココアと砂糖を入れた物)
昼食、チャプスイ(野菜の煮物)
夕食、魚5㎝位、(例によりホルマリン漬け)

獄中で生き抜くために

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


獄中日記
ビューティフルサンデーと言いたいが、曇りのち雨の1日であった。フッと頭の中には、日本の家族、フィリピンの妻、子ども達のことが浮かぶ。自分の妻、子供達を扶養していない自分の無力感を感じさせる。
僕たちの居房の房長には、頭に来る、今、33才人生の大半を刑務所、暮らし、青春の思い出、刑務所生活が基礎となっているので、人間性は最悪、根性が悪い。昔は金も無く苦しい生活を送った事も忘れている。刑務所内でパンパルかTXTメイトで知り合った女性と今は一緒だ。運良く、金の持ってる相手であったことが幸いし、今では房長となり、レストラン、金貸しまでやっている。僕とPJで話しする時は房長はカエル(殿様ガエル)と呼んでいる。日本で言う成り上り者が房長である。
僕とPJの日本人二人は食器洗い、清掃、その他を担当する。フィリピン人が居るが、別名密偵と呼んでいる。早く言えばスパイだ日本人の金の有無、食事は何を食べたか。全て房長(殿様ガエル)その他一同に報告している。PJは(飼い犬にかまれるとは事だから)と苦虫をかんでいる。考えてみると同じ日本人でも、色々と問題が有る。たった7名なのに、常に問題は起こる
フィリピン人の耳が有るので実名では話さない。像さん、自動車屋さん、爺さん、チューブ、アワと言ったとしてもフィリピン分からない、横文字も日本語に変え話す様注意している。像さん、爺さん、アワさんは、イリーガル、リクルートメントで詐欺罪も併合されている。像さんはイリーガル、リクルートメント(IR)の王様と言われている。所外、拘置所、刑務所、は関係なく働いている。一時、命も狙われた事も有った。(本人の所へ被害者からロウソクが送られてきたら、何を意味してるのか。日本で言う線香にあたる) 
例1フィリピン人女性の家族は日本へ行けると思い。6万ペソを造るため、田んぼを質入れし、カラバオ(水牛)を売却したが、結局、日本へは行けなかった。
例2拘置所にて拘留中、裁判の為、出頭するが、裁判後は日本大使館へ立ち寄る。事前にフィリピン人女性と大使館で待ち合わせをしたいるからである。象さんは女性から書類を預かり館内へ入る。女性は当然信用するだろう。館内へ入ると預かった書類は、ゴミ箱にポイ。。
未確認だが訴え出た人は数百人、被害総額600ペソという、ウワサもある。少しオーバーとは思うがでも凄い。さすが九州男児。以前はアメリカ、現在日本出身のアワさんもIRだが特殊技能を持っている。日本語は話すが読み書きは出来ない。しかし、英語、フィリピン死刑判決語(タガログ、イロカノ、ビサイヤ)とフィリピン人の様に話す。ウワサを聞くと父親は米軍所属のフィリピン人とか名前も日本人の名でない。子供も20~30人は存在している。本人の子とは思えない。戸籍を売っていると同様、認知届を提出し日本へ行かせる、日本へ行き、送金させている。
最近、最高裁の判決によれば、日本人の子と確認出来れば、日本国籍の取得が可能となる、本人は仕事が今以上に増すだろう。(神を信じる者は神の子。この人の場合、お金を出せば私の子)なぜアワさんと呼ぶのか、それは竜宮王朝時代、一般庶民、農民は米が食べることが出来ず、アワ、ヒエを主食としたいたようだ。その後中国から、唐芋が薩摩藩に伝わり、サツマイモと成ったそうだ。
今日の食事
朝食、パン1個
昼食、豚か牛の心臓(3×3cm)と牛の腸(4×4cm)の煮物
夕食、生卵1個、僕たちは玉子を使いチャーハンを夕食とした。
現在、時間午後10時30分、そろそろ寝る、続きは明日、書く事にしよう。

刑務所内組織図&手書き図面

JP氏、PJ氏からモンテンルーパ組織図が送られてきた、彼らが手書きで書いたものをそのままお見せしたいと思います。

Picture 011


Picture 003


Picture 004


Picture 005




皆様のご協力で沢山の方に現実を見ていただけるように一押しよろしくお願いいたします。
  ↓  ↓

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テーマ : 日記
ジャンル : 日記

刑務官の副業

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


獄中日記

天候、晴れ、夕方から雨、今日土曜日は、ステイ、イン(妻子の宿泊可能)である。日本の刑務所では考えられない。
僕は日本の刑務所へ入った事が無いが、本や知人から聞いたが、面会室での面会で、ガラス越しの会話。刑務官が会話を聞いており、指1本も触れる事が出来ない様だ。しかしフィリピンの刑務所はどうだろう。面会者の妻子が宿泊できる。考えられない。日本の刑務所で禁止されている事でもモンテンルーパでは可能である。覚せい剤、大麻、その他魔薬と名の付くもの全て有る。外部からの持ち込みは、不可能、過去に何度もパクられている。職員は持ち込み可能、安給料だから、副業として最高。日本の刑務所と違う所はモンテンルーパ刑務所には、ビデオケ、バスケットボールコート、テニスコート(テニスコートは元議員のプライベートコートも有る)ビリヤード場もある。今までテニスもやった事無い人間が刑務所でテニスを憶えてゆく。又、フィリピン人は、ギャンブルが好きで、ビリヤードでギャンブル、トランプ、コインの裏表(カラクロス)バスケットボール、以前は鶏闘も有った様だ。これらのギャンブルにしても本来は禁止されているが職員が上前を盗る(強盗のようなもの)中国人はトランプかマージャン、掛け金が違う。職員からすると、上客は中国人。中国人の大半が、ドラックスケースが多い。外部と連絡を取り合い、覚せい剤の売買。キロ単位の取引きをしている。刑務所内には、中国人は約100名ほどと思う。携帯電話は禁止されているが、かなりの台数が有る。携帯も職員が持ち込み囚人に売られている。又、職員に1000ペソ(約2500円)を支払い持ち込んでもらう。囚人の中には、チンコロ屋が居て、携帯の隠し場所等を通報し、職員より現金を受け取る。その携帯電話を職員は販売させる。携帯をパクられた囚人は、懲罰房へ入るかいやなら示談金を支払う。全て職員に金が入るシステムは出来上がっている。
今日の食事
朝食、ご飯とイワシ2匹(乾燥させた物で臭い4センチ位
昼食、ロミー(フィリピン風うどん)
夕食、イワシの缶詰め半分
僕の今居る所は、マキシム・セキュリティー・コンパンドと言って長期刑を収容している、近くにミディヨム・セキュリティー・コンパンド(中期刑)もう1ヶ所ミニマム・セキュリティー・コンパンド(短期刑)、長期刑だけでも12088名の囚人を収容している。食事に関しては、外部の業者で中国系のM,キコという会社が入っている。
マキシムの外にダバオ、パラワンの労働刑務所も担当している。相当な人数の食事を供給している。1人の囚人に対して、1日35ペソ(約100円弱)らしいが、僕が毎日食事していて1日35ペソとは思えない。どう見ても25ペソ(約65円)位だろう。例えば1日10ペソを詐欺したとすると囚人は約12000名、1日当り12万ペソ、1ヶ月360万ペソ、1年で、4320万ペソ(1億円強)を詐欺していることになる。会社側は、刑務所の上層部へ上納金を納めていると思う。労働刑務所を含めると膨大な数字となるだろう。。

外に出られぬまま亡くなった日本人服役者

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


獄中日記

今日は朝から、日本晴れと言いたい所だが、ここではフィリピン晴れ。僕にとっては今日は大切な日である。クリスチャンとしての洗礼を受ける。外部からマニラ日本語教会(MJCC)から8名、ジュン先生の方々が訪問され、洗礼を受け、これで僕も正式にクリスチャンと成りました。
へブル13章5-8節の中で、あなたを見捨てない。又、ただの人間が私にどんな手出しができましょう。イエスは、昨日も今日もいつまでも変わることがありません。この言葉は僕にとって心強い言葉である。
今日もニュースではフェリーの沈没事故の二ュース、アメリカ海兵隊は到着しているが、一行に進展はない。事故から6日、生存者が居るとは考えがたいが、発表では、乗客862名、実際はそれ以上と思う。過去のフェリー事故で、会社側の発表は約800名の死亡、実際は4000名の死者を出したのですから、明らかに定員オーバーフィリピンの利益追求制度、こんな事故が発生しても、大統領はアメリカ訪問、いいえ旅行でしょう。。。立派な大統領です。どんなスキャンダルにも負けません。日本であれば、すぐに離職してますね。AKは、高熱と口内炎で苦しんでいる。今月で6日目。刑務所にも病院と名がつくものは在るが、急患で病院へ行っても、医師が不在、薬が無いと言う理由で、明日とか、金曜日の夜に病院へ行くと月曜日に来るように言われる。生死を伴う病気の場合、まった無しである。重病の場合、所外の総合病院へ行くが、現金が無ければ病院へも行けない。金が無いイコール死。
昨年10月6日、日本人のM山氏が亡くなった。病名は発表はしないが、ガンと思われる。所外の総合病院で検査を終っているのにもかかわらず、何ら治療もされず、亡くなる当日、血を吐き、病院へ運ばれたが、帰らぬ人となった。数日後、日本人全員が参加して、ミサが行われたが、そこはビックリ、死体が10体以上全裸のまま並んでいた。変色し、ミイラ状態の死体も又、奥様に臭い、例え様がない。神父が鼻にタオルでおさえて、ミサを行ったのが、記憶にある。僕が2001年~2002年10月まで、入管の拘置所で拘置されていた時で日本人が3名死亡、ここ刑務所でM山氏、4名の死を見てきた。明日は我が身、これが実感である。
今日に食事
朝食、コッペパン1個
昼食、野菜の煮物(野菜はドロドロ、かぼちゃが入っているらしく、下痢便風野菜の煮物)
夕食、小麦粉と不明の肉(肉の棒1本)

2008年6月27日金曜日
今日は、前日程、日差しは強くなは無いが暑い。生ビールでもと言いたいが、刑務所は禁止。しかし刑務所内では闇で販売してる。ビールは無いが、安物のブランディー小ビンで500ペソ(約1250円)大ビンで1200ペソ(約3000円)で販売している。面会者が持ち込む事は不可能、入場の際の手荷物検査、身体検査が行われるので無理。職員が持ち込んで、大きな利益を得ている。又、囚人が、刑務所内で密造している酒類もある。僕も以前飲んだ事があるが、下痢で一晩泣いた事もあった。下痢だけで命は助かったが、中には工業用アルコールで製造した酒を飲み死者を出したことも有る。2002年には、一度に23名が死亡している。2005年には2名が病院へ担ぎ込まれたが、1名は現金が有り薬を購入出来たので助かった、しかしもう1名は文無し、そのまま天国か地獄かは不明だが、あの世行き(ブランディーは外の店では小ビン40ペソ(約100円)大びん80ペソ(200円)の物)フェリーの沈没も進展しない。船内に危険な薬品が積まれているため、船内に入る事が出来ない模様だ。危険物の等の持ち込みは禁止されてると思うが、、、、
今日の食事
朝食、チョプラド(飯をおかゆ状にし、ココアと砂糖を入れた物)大の大人が食べる物じゃない、子供のおやつダヨ!!
昼飯、豚のレバーの煮物(レバーは3cm角位)前回、下痢を起こした為、食べる勇気が無い
夕食、アジ(4~5センチ位ホルマリン漬け)魚も自己防衛の為、食べれない。
夕食は昨日、僕の洗礼に来て下さった、マニラ日本語教会の方より頂いた、日本のレトルトカレーをベースにローカルのカレー粉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、にんにくを入れ調理し食べた。カレーを食べるのも何ヶ月ぶりだろう。うまい!!
日本大使館が3ヶ月に1度面会に来るが、その際、食品を持ってきてくれますが、震災用の非常食です。毎回、カレー、シチュー、缶詰め類を持参するが全てといって良いほど賞味期限切れ。2002年、2004年の刻印が輝いていた。パイナップルの缶詰めを開けた時パイナップルが茶色でした。我々、囚人に人体実験されては困りますよ。外務大臣。
今日はギャンググループのC(コマンド)とS(スポットネック)の殴り合いの喧嘩が有った。借金のトラブルらしい。刺し合いには成らず、死者、負傷者は出ていない。時々、敵対グループの場合、殺し合いのケンカとなる。個人対個人がグループ対グループと成り、ナイフ、時には手製のショットガン(フィリピンギャンググループではスンパという)これを使うと、職員もM16、ショットガン、拳銃を使用し死者、負傷者は当然。ギャンググループに他に拳銃、手りゅう弾を所有するが、戦争にならない限り使用しない。(2006年12月のハッピーゴートBCの対立の時には、囚人側にマシンガンが有ったが、その後の検察では発見されていない。)

壁の中の教会

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


獄中日記
今日は、朝から快晴で少し蒸し暑い。台風の雨がと少しでもと、自分勝手に言いたいことを言っている。
月曜、火曜日と面会日では無いので静かである。21日に沈没したフェリーの救出は全くといってよい程進んでいない。フィリピン海軍のヘリコプター、少数の部隊が出動している位。沈没してから4日が経過しているので、死体が数体、海面に上がった方を回収している。家族の思いは、どんなものだろう?内外から救援物資等が届いているが、これは、台風に関して
も同じで有るが、被害者の手元に届くには、一部、政府関係の私物となるのが、常。
米不足で海外からの支援は有るが、一般庶民には、届かず、政府関係者が販売している。
フィリピンに対しての援助国は、アメリカ、日本、オーストラる後の事。これは教育に関してだが、その金銭は、どこへ消えているのか、それは、はっきりしている。他の国の援助が有るが学校建設は、進まず、全てが不足している。これじじゃあフィリピンの未来は無いに等しい。
今日の食事
朝食、ソウパス(日本のシチュー似ているが、クリーミーではなく、水ぽい、気持ちだけミルクが入っている。それにマカロニと僕は、鶏肉と思って食べたが、骨が鳥にしては、細い、フィリピン人に聞いたところ、ネズミとの事、ゲ~ェ
昼食、野菜の煮物
夕食、イワシの缶詰め一人半分。:過去、イワシの缶詰めは消費期限切れ。ネコも食べない物を人間が食べていた。冗談とは思うが、猫が食べて死んだという話しも

今日は、朝から気持ちの良い快晴
僕は、クリスチャンですから、教会へ行き、モーニングデポーション。ここの刑務所には、カトリック、イグレシア、プロテスタント、モスリム、4等の教会が25教会以上有ると思う。中には、複数の教会のメンバーになる。なぜか?それは、クリスマス、アニバーサリーと教会から、石鹸、歯磨き、シャンプー、タオル、サンダル、食品等、ビヤヤと言って、もらえるからである。もらった人は、その品物を売って現金化する。それらの情報は、速い(今日、OO教会のアニバーサリーだぞ)と、普段なら、20~30名の礼拝が、その日に限り100名以上まで集まる。神様、ごめんなさい。アーメン
夜、何か変な女性の声がした。トイレへ行く、ついでに様子をうかがったところ、みんな真剣な顔で、テレビから目を離さない。又、右手が激しく上下ピストン運動を、左手には、タオル、アッ!!OOOOか!!恥ずかしくも無く、よくやるョ。
前にOOOO中に急にテンカンの発作を起こし泡を吹いたヤツもいた。又、たばこを吸いながらOOOOしていて、人から(タバコの灰の事を注意され)、殴り合いケンカ。
人間じゃねェヨ、猿かそれ以下だ。
今日の食事
朝食、フィリピンのおかゆ
昼食、豚肉の脂肪、2cm角位、スープなし
夕食、バゴス(フィリピンのナショナルフィシュ、5cm弱位)魚は、いつもの様にホルマリンの臭い。(ビヤヤとは刑務所の言葉で、プレゼントと言う意味)

フェリー沈没!獄中日記

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


日記

今日は朝から快晴、昨日までの台風(フランク)が嘘の様だ。台風は各地で大きな被害を受けた。フェリーボート、プリンセツ オブ ザ スター号の救助活動は行われていない。自力で脱出した30名以外は船内、フィリピンには、救助用の装備が無いのか、明日、アメリカ海兵隊の沖縄からの到着待ち状態。救出を待つのでは無く、死を待っているが、正しい表現かもしれない。日本その他各国から、援助を受けていのに、装備が無い。大統領
、議員が個人の装備を整えているのでしょう。日本であれば、救出、保障問題と大きな問題で有ろう。
話に聞くと、死者に対して20万ペソ(50万)負傷者に5万ペソ(12万5千円)とか。
夜になり続報が入った、死者130名、負傷者28名、不明者350名、正確に調べたとは思えない。21日出発前からエンジントラブルが発覚していたのに出航許可を出しているのだから、台風による天災ではない、明らかに人災である。会社側は補償問題の都合で、最後まで台風による天災と終始、言い続けるだろう。
今日の食事
朝食、パン1個(日本のコッペパン風10cm位)
昼食、牛の腸の様な物(4×4cm位1枚)
夕食、小麦粉に少々の肉を混ぜ練り(何の肉かは不明、ネコかな?ネズミかな?)を棒状にした物1本。今日の総カロリーは、どの位だろう?500カロリーは無いと思う。本で読んだが、日本の刑務所は1日2660カロリーと思う、毎日、毎日、体力が低下している。調理場の衛生面にも問題が有る。以前は、米、野菜、肉類、は洗わずに、そのまま料理していたので、ご飯は茶色、ナイロンのヒモ入り、ヒモ付きなら良いが、石、何でも入っていた。これより前は、ギャンググループの抗争で、抗争相手の飯等に、小便、ツバをいれてた時代もあった。又、米、野菜、肉類、魚、調味料を盗み出し販売していた。そのボスはなんと、刑務所の職員とか。職員がドロボウの上前をはねる。

獄中日記

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


日記
天候、曇りのち雨、台風の影響で午後から大雨。午後2時40分、I氏、方々5名が面会に来られ、2名が女性、日本人の若い女性が、日本女性を見るのは何年ぶりだろう。私JPも少々若返った気が一瞬、しかし、すぐ我にかえった。異様に日本人が恋しくなった。

今日の出来事
昨日、パトロールにより、ビルディング4に居房している中国系フィリピン人がエクスタシー所持で摘発され、今日ビルディング14重度懲罰房へ移動した。同じ囚人で教会の牧師が先に摘発され、中国系フィリピン人Uの名前を出した様だ。
でも、数千ペソの示談金を納めたら、まぁー1週間位で帰ってくるだろなあー、

今日は土曜日、妻、子供が宿泊して良い日です。宿泊が出来るから、子供も出来るのでしょうね、、日本では考えられないと思います。その考えられない事が、ここ、モンテンルーパ刑務所です。

今日の食事
朝食、フィリピン風おかゆ(ルガオ)昼飯、豚のレバーの煮物、少々、異臭がした。夕食は、4-5cm位のアジ、生で支給、臭いは、ホルマリン、魚はドロドロで食べる事が出来ない。しかしフィリピン人は、旨そうに頭まで、バリバリ食べている。豚のレバーは、再調理したが、異臭は残っていた。JPは我慢して食べたが、PJは健康上、食べられない様だ。僕は気のせいか、腹がゴロゴロする

次の朝僕が起床した時から下痢で3度トイレへ走った。昨日の豚レバーが原因と思われる。食べなかったPJは異常なし。昨日からの台風による大雨は、益々激しく、刑務所所内は停電。停電だけなら、まだしも断水も伴なう、洗濯、シャワーに苦労する。過去5日~1週間、停電の時が有ったが、その時18Lポリタンク(飲料水)が50ペソ(120円)~100ペソ(240円)で販売していた。
これも囚人の大切な収入源。我々は大使館の協力で水の支給があった。停電も二種類トランスの破損、刑務所側の電気料金の滞納 昨年300万ペソの滞納が有ったと聞いた。
年間予算は出ているのに、何故。その電気料金はなぜ消えたのか。
ちなみに昼の電気は囚人個人の負担と決まってる。

話は変わりますが、6月21日ロブロン沖で台風の影響でフェリーボート、プリンセツ オブ ザ スター号が沈没した。乗客約700名、死者、救助者等不明。1ヶ月前に、PJが近々、飛行機か船の事故が有ると言っていたのが事実と成った。
又、今日日曜日は、各種支払い日房に対して1週間1週間の積み立て金全員ではないが、店舗、コーヒー、タバコ等の支払い。
ファイブ・シックス(囚人金融)1週間で20%の金利、例えば1000ペソ借りて、1200ペソの返済、日本のトイチより厳しい。返済しない場合は、時として、太く長い木製の棒(バットの様な物)で尻を打たれる。負債者にとって苦痛の日となる。打ち所が悪ければ、身体障害者の仲間入り。昨年の暮れ、日本人として始めて、借金を払わず、1週間、5発を数回続けた、Sさん本人によると、大丈夫と笑っていた。日本人として恥ずかしくないのだろう?。
今日の食事は朝食は乾燥魚(イワシ4センチ位)2匹
昼食、モンゴ(大きな小豆、緑色、その豆を煮込んだ物)
夕食、卵1個(生で支給、現金が無ければ生で食べるしか無い、下痢が心配で、生では食べられない。)
下痢で思い出したが、数年前、同じ房に日系ブラジル人M.Nが下痢で、下痢は下痢でも、食べ物が原因ではない、内縁の妻の面会で、Hのやり過ぎで、腹を冷やし下痢をした。本人はトイレへ走るが間に合わず、下痢便を爆発させた。その時間帯は多くの者が、寝ており、顔、身体は、OOだらけ、臭いも強烈だったそうだ。

獄中より届いた1通の手紙 & コメント

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、



今日は彼らから届いた(きっかけ)手紙それに皆さんからいただいたコメントも
一緒に紹介させていただこうと思います。


手紙1


手紙2



コメント
そう言えば何年か前本を出された方(服役していて無実を訴えてたバイクメーカー同じ名前の人Sさん)いましたよね?どうなりましたか?本当に無実としたら何か方法は無いのですかね?日本の法律なら詳しいのですが・・・大使館の調査報告書(外務省に提出書)見たいですね。


追伸・・・取材経過を暫く見るしかないですけど、本当に無罪でしたら歯がゆいですね、悔しいですね!



コマンダー
彼はいまだに服役しております、死刑の判決より恩赦を受け今は無期懲役です。すでに10数年彼は服役しておりますが、一度判決が出た物をひっくり返すのは難しいようです、間違えを認めない人柄がここにも出ているといったかんじでしょうか、、



コメント
日本でアメリカ人が何らかの犯罪で拘留されるとすぐに大使館員が面会に来て対処してくれるそうですが、フィリピンに於いて日本人が犯罪に巻き込まれて逮捕されたとしても、あんまり日本大使館の方々は親身になってくれないのでしょうかね?


コメント
いろいろな情報を見ると、ほんとに日本大使館は弱腰のようですね。

コメント
初コメです。お邪魔します。
すごい手紙ですね。こんな事って、本当にあるんですね・・・怖い。
私もフィリピンへ行くので気をつけたいです。
とても勉強になりました。

コメント
やっぱり東南アジアに赴任している大使は、なんで俺がこんな国の
大使なんだと不満たらたらなんでしょうね。彼らはプライドの塊で
フィリピンを虫けらのような国と位置づけていると思います。
よって、そこで逮捕された日本人にも興味がないし、何もやる気の
ない彼らでしょうね。これは問題ですよね。どうにかして訴える必
要があると思いますので、で、囚人がブログをできるといいと思い
ます。もちろん直接は無理でしょうけど、誰かが手紙をもとに日記
として代筆するような手法で、この現状を広く世に訴える必要があ
ると思います。Jさん、頑張ってください。


コメント
活動ありがとう!同胞が無罪で服役されている事実は鈴木事件以来感心を持っていました・・・・・


コメント
つくずく、日本人はカモられていますね!
中韓のスケベオヤジもカモられているのでしょうか?
偽装韓国人になって渡比しようかな~


コメント
大使館員の意識改革を期待したいです
無実なら 悔しいでしょう 何とか成らないのでしょうか?


コメント
ご来店、有難うございます。以前、知り合いが、(シッテルダケ)モンテンルパで、お世話になってたようです。
現在は、運よく、日本にいるようですが・・・
いろいろとありますね・・・本日から、また、現地に行き
ます。毎月ながら、ふとした油断、慣れが、災いを招きま
すから、気を引き締めなおす意味で、読ませて頂きました。

コメント
日本大使館の酷さを彼方此方の記事で目にするのですが、なぜ同じ国の困った人間に善処しないのでしょうかね。。。許せない事だと思います。

コメント
フィリピン在住日本人会があると思いますが、その組織はこういう事に対して警察とか検事局とか大使館とかへ行動しないのですか?


コマンダー
どこの国でも日本大使館はこういうケースには余り感知してくれないと聞いています。フィリピンでたとえれば韓国大使館などはフィリピン政府にどんどん圧力をかけとことん大使館内に調査セクションがあると聞いています。もちろんアメリカ大使館も、、


コマンダー
大使館はあまりかかわりたくないそうですこういう事件には、、、正直同じ日本人としてさみしいものがあります。


コマンダー
コメントありがとうございます、
参考にしていただければ彼らの誠意も無駄にはなりません。

コマンダー
できるだけのことはやってみようとは思いますが皆さんの応援もあって実が実ることです。お力お貸しくださいね!



コマンダー
師匠次回是非取材でご同行お願いできませんか、、?
師匠のお力をお借りできれば鬼に金棒です!


コマンダー
ほかの国の人もいろいろとあるようですがコミユニティがしっかりしていて、捕まっても同胞があらゆる手を使い外に出してくれます。もちろん出たあと借りはしっかり返すので助け合いが成り立っているのです、日本人ぐらいでしょう外に出ても礼のひとつもろくにいえない人種は、、ですから助ける気力がなくなる、、という悪循環になってしまうのです。

コマンダー
日本人の考え方、助ける側と助けられる側のしっかりした信頼関係ギブアンドテイクこれが出来上がらない限りは、、卵がさきか?鶏が先か?、、先に進むことは難しいでしょうね、、残念ながら


コマンダー
いつも初心を忘れないように私も心がけているつもりです、いつ魔の手が伸びるかわからないですからね、今日はもう現地ですねエンジョイしてきてくださいね、


コマンダー
彼らも所詮大使館の 会社員 気持ちから同胞を助ける気持ちのあるやる気のある企業戦士はほとんどいませんが、、私の知っているフリ○○領事彼は最高の戦士でした、、彼みたいな領事が入れば我々も少しは安心できるのですが、、しかしやる気のある領事はすぐにどこかに飛ばされる??いなくなってしまいますね、、


コマンダー
ほとんど動きません、やはりかかわりたくないというのが実情でしょう。彼らが100%無罪と言う証拠がないわけですから真っ白でない限りいくら白に近くてもやはり白ではないという考えでしょう。


コメント
日本の役人は、弱者にだけ強いですよね。いつでも。強気に出る人に対しては、非常に弱い。
フィリピン最大の援助国日本を、どうして、強気に出せないのか・・・


コメント
いくら慎重に気を付けてもセットアップとなると
どう対処すればよいのでしょう。時間が経過すればするほど
難しいとお聞きしますが。
<彼らが100%無罪と言う証拠がないわけですから
でも彼等が100%有罪という事実もないのですよね?
署名集めて日本の外務省まで行進しましょうか。


コメント
セットアップは多い国ですから・・・明日は吾身と?
どうなるんでしょう?

コメント
初めまして。先程はお気に入り登録ありがとうございました。
しかし、これは大変なことですね。日本政府は動かないでしょうか?
無実であるなら余計に政府が動く必要があるでしょうね。


コメント
敬礼
ご苦労さまです。
同胞が無罪なら、、立ち上がろうではないですか、
微力ながら、、ご協力いたします


コマンダー
本当にそのとうり、、私から見ていても歯がゆいことばかりです。


コマンダー
心からそう思える人が何人集まるか?それが問題です。私たちもいざ大使館に講義!となると普段愚痴をこぼしている人の3分の1も集まればいいところです。やはり大使館に目をつけられたくないとか言う言い訳で、、それじゃ、大使館と同じ言い訳ですよね、、本心動きに参加できる人が100%なら動かすことができるかもしれませんが、、

コマンダー
こちらこそありがとうございます。
日本政府の出先機関、、大使館は動くことはないでしょう、、、
これが現実です。


コマンダー
ともに戦いましょう。我々は銃ではなく、筆でもなく、、キーボードで戦うと言うのはいかがでしょうか!そうですブログという武器でできることをともにやろうではありませんか!



コメント
大使館は動きませんからね~時に東南アジア方面は・・・


コメント
鈴○○木英司さんでしたね。ビデオを探したら民放で4年前位に特集したのがcaluboの家にあり何回も見直して愕然としました!それはフィリピン大使館員のコメントがあり凄い事を言っているからす。 (事実は分かりました。しかし失礼ながら、この国やタイなどの東南アジアではそうした事件を起こしたすべての人が“知らなかった”と言います“無実”と言われるなら弁護士を雇って裁判で勝てばいいと思いますが・・・)と他人事です。フィリピン大使館員は税金の無駄ずかいとしかいいようがありませんね!微力ながら日本で協力出来ることはしますよ。


コメント
去年、波乗り君たちが、帰りがけにガイドから、葉っぱを大量に買いうけ、空港1で、
セキュリティに捕まりました。
「財布を出せ!有り金を置いてけ!」
絞めて、日本円で10万円なり、毎度有り~

彼ら曰く、
「フィリピンは、何だかワカらない国ですね?」「正直、あまり面白くもないし」
と、呑気です。
私はそこで、
「お宅の会社は鯛でも有名だし、それだけの国債企業で、危険情報やらの教育を、、、会社でないの?」、、、
彼らの答えは、「無い!」そうです。
彼らのお父さんたちは
戦中生まれの苦労した昭和生まれですが、会話とか男同士の絆が、どうやらなさそうです。
私の同級生で、フィリピン戦線で終戦を迎えた父がいますが、「死のパターン行進」はどんな感じですか?」なんて感じで、頭に『死』をつけると、大変な勉強をさせてくれました。
失礼とは何か?死者とは何か?を、親切に教えてくれました。

世代を超える
マナーとか世渡りとかスマートさの知恵が
日本には無いです。昭和一桁世代で縁が切れたのかもしれません。
外国では食い物にされますね?




コマンダー
私もインタビュウ同行しましたがその答えに驚かされた一人でした。


コマンダー
そのとうりですね、、腰が重いというかなんと言うか、、理由はあるのかもしれませんが、、もう少し同胞のために重い腰をあげてもらいたいものです。


コマンダー
たまたまラッキーと言うしか言葉が出ませんがひとつ間違えると今でも刑務所の中にいた可能性もあるわけですから、、
まったく同じ内容で13年間(いまだに)囚われ中の日本人もいます。10万円ですんでよかったですね、、彼は裁判やなんやで1000万以上のお金を使い13年の月日を刑務所で過ごしているわけですから、、その差は大きい!

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プロフィール

管理人

Author:管理人
メールアドレス  free4649@msn.com

P J  1962年2月4日生まれ 46歳   
    罪名 強姦罪 刑期 無期1997年9月1日 1997年9月1日 12歳の子をレイプしたと訴えられセブ署にて逮捕 9月3日ダナオ刑務所に移管2週間後保釈、2001年7月20日 判決 2001年8月20日 モンテンルパ刑務所に移管


P J  1957年5月5日生まれ 51歳            
    罪名 詐欺罪 刑期 16年~20年 2001年9月24日 マカティ警察 逮捕 拘留 9月27日ビクータン入国管理局留置所 2002年10月4日 判決が下り 2004年10月10日 ニュビリビットモンテンルパ刑務所 Mediam 入所 2006年4月6日無期死刑房に移管、現在に至る。

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