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PJ氏の経歴

名前   PJ
住所   東京都
罪名   詐欺罪
刑期   12年~20年
裁判所  マカティ地裁 ブランチ148
事件番号 01-1593
裁判官  OSCAR B PIMENTEL
告訴人  NORIYUKI SONODA
証人   BRENDA SANTIAGO
弁護士  ROIAND VILLENES
通訳   吉野 フジオ
被告弁護士 バルセロナ

逮捕から刑務所への記録
2001年9月16日  マカティ警察逮捕
2001年9月20日  入国管理事務所、拘置所(ビクタン)
2002年10月4日  判決
2002年10月10日  モンテンルパ刑務所(サンパギッタ中期刑)
2006年4月6日   モンテンルパ刑務所(長期刑)
 
告訴人Sと知り合った時期及び経緯
2000年7月下旬ころ、BULI Muntinlupaの知人、ロディ・リントの自宅に訪問していた時知人宅の前の住むMという女性に、日本に居住する恋人、Sに電話してほしいとの依頼があった。ミカとがSが知り合った場所は、アラバングに所在する、ビデオケ(チェック ポイント)で客として来店したSを知ったそうだ。
7月下旬、ミカの依頼により、Sに電話した。その後、何度か電話しフィリピンに来た場合、会う事を話し合った。ある日、僕がラスピニャス市内で、トライスクールの乗車中、財布を遺失した。財布の中身は、現金、クレジットカード、ATMカードであった。ATMは日本国内専用。8月に入り、僕はSに事情を説明し、送金してもらった。
第1回目は、2000年8月7日 10万円
第2回目は、2000年8月11日 20万円
第3回目は、2000年9月3日 80万円
第4回目は、2001年1月10日 160万円
第5回目は、2001年4月10日 15万円
を送金してもっらた。
受け取り方法は、第1回から第3回は銀行振り込み。第4回、第5回はDoor to Doorにより受け取り。
2001年4月13日、パサイ市在住、サンファン病院にて、ブレンダ・サンチャゴに会い借用書を渡した。印紙なし
初めて借用する時に、住所、家族の住所は知らせて有る。フィリピンも含め、Sと初めて会ったのは、2000年10月5日午後4時過ぎ、ホテル、ホリディ・イン・マニラ。Sが日本から同行してきた者は、日本人4名同席した者は、ブレンダと運転手のペピィト。ホテルのロビーで当時、副大統領のアロヨが来館していた。この事実がSの面会がホリディ・イン・マニラと解ける。第2回目、2000年10月10日、Sの帰国日、午前中、ホリディ・イン・マニラにて。第3回目2001年3月25日、ホリディ・イン・マニラの合計3回の面会。
裁判では、現金を僕に渡したのは、ブレンダで直接渡したと証言、場所は2000年1月7日にブルバードマンション。7月21日マンダラヨン、9月3日バリオフェスタ、2001年1月1日バリオフェスタと偽証している。私が、Door to Doorで受け取った証人は多数存在する。
告訴人と証人は、裁判では、僕とSでフィリピンで質屋の開業資金として渡した、と証言しているが何の証拠も存在しない。事実ではない。
僕は、弁護士バルセロナに対し無実の証人、Sの宿泊するホテルの調査、又裁判では、質屋に関して質問する様に話しをしたが何も行われていない。ブレンダが直接、現金を渡したすれば、必ず領収書が有るはずです。しかし提出されていません。質屋に関しても何も証拠は無い。日本人通訳、Yだが、私が選任していない。告訴人が選任した者で、僕には了解を取っていない。告訴人は日本在住の日本人との金銭の貸借問題は、日本で言う民事事件ではないでしょうか。又、僕がマカティ警察に逮捕された理由が判りません。住所地でもありません。
発生場所といっても、Door to Doorで受け取った場所はラスピニャス市です。告訴人は日本、証人はサンタロサ・ラグーナです。
告訴人がフィリピンにて、現金を渡したと強調しているのは、日本から送金ではでフィリピンの事件を立件するのは不可能であるからと思う。

法務省のガイドラインは、ミニマムセンテンスの2分の1を経過している場合、減刑の申請が可能。もし減刑が認められた場合、仮出所の申請も可能となる。

※ 裁判中に自称、裁判官のアシスタントのドンから毎日の様に、TEXTが来た。100ペソ支
払えばジスミスにする。払わなければモンテンルパ20年と何度なくTEXTが届いた。僕は
証拠としてその内容を弁護士に全て送ったが、何の行動も取らなかった。
※ 判決の日には、弁護士、通訳、不在のまま判決を言い渡された。判決後、私は控訴の意志
を告げたが、控訴となっていなかった。
※ 書き忘れていましたが、私の証拠として、日本の銀行口座の証明書、日本からの送金等
記載のもの。私の無実を証明する、証人等の弁護士に伝えたが、裁判では一切証言して
いない
※ 原告側の証人、ブレンダ・サンチャゴが直接、現金を渡したと証言しているが、もし現金を渡
したのであれば、領収書等は有るのか。
※ 質屋の開業と証言しているが、計画書、その他、証拠として一切提出していない。その開業
資金を詐欺としたら、借用書は何の意味があるか?私がSと面会したホテルに対して、弁
護士は何も調査もしていない。
※ 私は、Sと始めて面会したには、2000年10月5日であるが、Sは、それ以前からの知り合い
と証言している。私にSを紹介した。ミカなる女性が、証言すれば、事実が判明する。



Q, 今後の目標は?
A, 1日も早く出所する事が、第一目標です。今年3月31日付で、減刑申請は提出済みで、
回答待ち状態である。家族の問題で、二人の子供の日本国籍の取得と妻、子の日本へ
の渡航に関する件。(事件外)
Q, 出られる確率は?
A, 僕の刑期は、12年~20年で、通常で2010年に仮出所の申請が可能である。もし減刑が
認められると多少、早められると思う。
Q, いつ?
A, 2010年と思われる。
Q,今の支援団体は?
,A. 事件に関して支援団体等は無い状態です。
Q,大使館は何をしてくれるのか?
A, 断言できる事は、無いの一言。

※ 僕は、逮捕時、警察より、大使館へ電話を掛け相談したが、面会は無し、5日後、入国管理
事務所の拘置所(BID)に拘留中、数ヶ月後に面会に来た。っ領事に対し、僕は無実を主張
したが、領事は一言、フィリピンでよく有る話し、フィリピンへ来た。あなたが悪い。であった。
在フィリピン日本大使館の領事とは思えない発言である。
※ 逮捕行為、被疑事実、等の事実関係の調査無し
※ 弁護士、通訳等、選任に対して、非協力的
※ 裁判に対する、中立、公平等する調査無し
※ 大使館、領事は、事件に関して、フォローアップは行うがバックアップは不可能との回答。
無罪を主張している者に対してバックアップは、必要不可欠と思う。大使館としては、事件
       に関して、触れたく無い体制である。以前、大使館として、減刑の申請を依頼したが、前例
       が無いで終わった。今年3月31日付の減刑申請では、Board of Pardons and Paroleへ申
       請書が届いた有無の確認のみである。

再審理を考えた時期も有ったが、裁判費、弁護費用等を考えると、簡単には動けない。2001年から現在まで、7年服役し、あきらめ半分あと、数年で仮出所と思っている。大使館が、もっと積極に協力して頂ければ、もう少し違った考え、行動が取れたと思います。しかし可能であれば、無実として出所したい。悔しい思いだけが残る
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獄中日記

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、

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手紙1

手紙2


日記
天候、曇りのち雨、台風の影響で午後から大雨。午後2時40分、I氏、方々5名が面会に来られ、2名が女性、日本人の若い女性が、日本女性を見るのは何年ぶりだろう。私JPも少々若返った気が一瞬、しかし、すぐ我にかえった。異様に日本人が恋しくなった。

今日の出来事
昨日、パトロールにより、ビルディング4に居房している中国系フィリピン人がエクスタシー所持で摘発され、今日ビルディング14重度懲罰房へ移動した。同じ囚人で教会の牧師が先に摘発され、中国系フィリピン人Uの名前を出した様だ。
でも、数千ペソの示談金を納めたら、まぁー1週間位で帰ってくるだろなあー、

今日は土曜日、妻、子供が宿泊して良い日です。宿泊が出来るから、子供も出来るのでしょうね、、日本では考えられないと思います。その考えられない事が、ここ、モンテンルーパ刑務所です。

今日の食事
朝食、フィリピン風おかゆ(ルガオ)昼飯、豚のレバーの煮物、少々、異臭がした。夕食は、4-5cm位のアジ、生で支給、臭いは、ホルマリン、魚はドロドロで食べる事が出来ない。しかしフィリピン人は、旨そうに頭まで、バリバリ食べている。豚のレバーは、再調理したが、異臭は残っていた。JPは我慢して食べたが、PJは健康上、食べられない様だ。僕は気のせいか、腹がゴロゴロする

次の朝僕が起床した時から下痢で3度トイレへ走った。昨日の豚レバーが原因と思われる。食べなかったPJは異常なし。昨日からの台風による大雨は、益々激しく、刑務所所内は停電。停電だけなら、まだしも断水も伴なう、洗濯、シャワーに苦労する。過去5日~1週間、停電の時が有ったが、その時18Lポリタンク(飲料水)が50ペソ(120円)~100ペソ(240円)で販売していた。
これも囚人の大切な収入源。我々は大使館の協力で水の支給があった。停電も二種類トランスの破損、刑務所側の電気料金の滞納 昨年300万ペソの滞納が有ったと聞いた。
年間予算は出ているのに、何故。その電気料金はなぜ消えたのか。
ちなみに昼の電気は囚人個人の負担と決まってる。

話は変わりますが、6月21日ロブロン沖で台風の影響でフェリーボート、プリンセツ オブ ザ スター号が沈没した。乗客約700名、死者、救助者等不明。1ヶ月前に、PJが近々、飛行機か船の事故が有ると言っていたのが事実と成った。
又、今日日曜日は、各種支払い日房に対して1週間1週間の積み立て金全員ではないが、店舗、コーヒー、タバコ等の支払い。
ファイブ・シックス(囚人金融)1週間で20%の金利、例えば1000ペソ借りて、1200ペソの返済、日本のトイチより厳しい。返済しない場合は、時として、太く長い木製の棒(バットの様な物)で尻を打たれる。負債者にとって苦痛の日となる。打ち所が悪ければ、身体障害者の仲間入り。昨年の暮れ、日本人として始めて、借金を払わず、1週間、5発を数回続けた、Sさん本人によると、大丈夫と笑っていた。日本人として恥ずかしくないのだろう?。
今日の食事は朝食は乾燥魚(イワシ4センチ位)2匹
昼食、モンゴ(大きな小豆、緑色、その豆を煮込んだ物)
夕食、卵1個(生で支給、現金が無ければ生で食べるしか無い、下痢が心配で、生では食べられない。)
下痢で思い出したが、数年前、同じ房に日系ブラジル人M.Nが下痢で、下痢は下痢でも、食べ物が原因ではない、内縁の妻の面会で、Hのやり過ぎで、腹を冷やし下痢をした。本人はトイレへ走るが間に合わず、下痢便を爆発させた。その時間帯は多くの者が、寝ており、顔、身体は、OOだらけ、臭いも強烈だったそうだ。

獄中より届いた1通の手紙 & コメント

ニュービリビット(モンテンルーパ刑務所)より1通の手紙が届いた。

早速お二人に会いに刑務所に面会に行った。そこでお二人から聞いたいろいろなお話、
彼らが書き記している日記、他をここでご紹介していくことにした。

彼らが本当に無罪なのかどうかの審議はわからない。しかし彼らが経験してきたことは計り知れないことばかりで我々がフィリピンと言う国とかかわっていくのであればいざそういう事件に自分が巻き込まれたときに役に立つ事が日記に書かれている。彼らの日常起こる刑務所内の出来事から、、彼らの訴え、愚痴、他をここで紹介していきたいと思う。

ここから彼らの支援者が出てくるかもしれない?彼らはそれも期待していると言うことは本音の部分で話してくれた、、一人でも多くの人が彼らの獄中からの呼びかけに答えてくれればどんなにうれしい事か、、ほとんどの人には信じてもらえないと自覚しているしかし何処かに理解してくれる人がいるはずだとそれを信じて日記を書きたいと思う、

最後に二人が口を合わせて言っていました、我々が外にいたとしたらこのような訴えに恥ずかしながら多分耳を傾けなかっただろう、、囚われの身となり初めてはめられた囚人の気持ちがわかった。まさか自分がこのようなことになるとは夢にもおもわなかった。と、、



今日は彼らから届いた(きっかけ)手紙それに皆さんからいただいたコメントも
一緒に紹介させていただこうと思います。


手紙1


手紙2



コメント
そう言えば何年か前本を出された方(服役していて無実を訴えてたバイクメーカー同じ名前の人Sさん)いましたよね?どうなりましたか?本当に無実としたら何か方法は無いのですかね?日本の法律なら詳しいのですが・・・大使館の調査報告書(外務省に提出書)見たいですね。


追伸・・・取材経過を暫く見るしかないですけど、本当に無罪でしたら歯がゆいですね、悔しいですね!



コマンダー
彼はいまだに服役しております、死刑の判決より恩赦を受け今は無期懲役です。すでに10数年彼は服役しておりますが、一度判決が出た物をひっくり返すのは難しいようです、間違えを認めない人柄がここにも出ているといったかんじでしょうか、、



コメント
日本でアメリカ人が何らかの犯罪で拘留されるとすぐに大使館員が面会に来て対処してくれるそうですが、フィリピンに於いて日本人が犯罪に巻き込まれて逮捕されたとしても、あんまり日本大使館の方々は親身になってくれないのでしょうかね?


コメント
いろいろな情報を見ると、ほんとに日本大使館は弱腰のようですね。

コメント
初コメです。お邪魔します。
すごい手紙ですね。こんな事って、本当にあるんですね・・・怖い。
私もフィリピンへ行くので気をつけたいです。
とても勉強になりました。

コメント
やっぱり東南アジアに赴任している大使は、なんで俺がこんな国の
大使なんだと不満たらたらなんでしょうね。彼らはプライドの塊で
フィリピンを虫けらのような国と位置づけていると思います。
よって、そこで逮捕された日本人にも興味がないし、何もやる気の
ない彼らでしょうね。これは問題ですよね。どうにかして訴える必
要があると思いますので、で、囚人がブログをできるといいと思い
ます。もちろん直接は無理でしょうけど、誰かが手紙をもとに日記
として代筆するような手法で、この現状を広く世に訴える必要があ
ると思います。Jさん、頑張ってください。


コメント
活動ありがとう!同胞が無罪で服役されている事実は鈴木事件以来感心を持っていました・・・・・


コメント
つくずく、日本人はカモられていますね!
中韓のスケベオヤジもカモられているのでしょうか?
偽装韓国人になって渡比しようかな~


コメント
大使館員の意識改革を期待したいです
無実なら 悔しいでしょう 何とか成らないのでしょうか?


コメント
ご来店、有難うございます。以前、知り合いが、(シッテルダケ)モンテンルパで、お世話になってたようです。
現在は、運よく、日本にいるようですが・・・
いろいろとありますね・・・本日から、また、現地に行き
ます。毎月ながら、ふとした油断、慣れが、災いを招きま
すから、気を引き締めなおす意味で、読ませて頂きました。

コメント
日本大使館の酷さを彼方此方の記事で目にするのですが、なぜ同じ国の困った人間に善処しないのでしょうかね。。。許せない事だと思います。

コメント
フィリピン在住日本人会があると思いますが、その組織はこういう事に対して警察とか検事局とか大使館とかへ行動しないのですか?


コマンダー
どこの国でも日本大使館はこういうケースには余り感知してくれないと聞いています。フィリピンでたとえれば韓国大使館などはフィリピン政府にどんどん圧力をかけとことん大使館内に調査セクションがあると聞いています。もちろんアメリカ大使館も、、


コマンダー
大使館はあまりかかわりたくないそうですこういう事件には、、、正直同じ日本人としてさみしいものがあります。


コマンダー
コメントありがとうございます、
参考にしていただければ彼らの誠意も無駄にはなりません。

コマンダー
できるだけのことはやってみようとは思いますが皆さんの応援もあって実が実ることです。お力お貸しくださいね!



コマンダー
師匠次回是非取材でご同行お願いできませんか、、?
師匠のお力をお借りできれば鬼に金棒です!


コマンダー
ほかの国の人もいろいろとあるようですがコミユニティがしっかりしていて、捕まっても同胞があらゆる手を使い外に出してくれます。もちろん出たあと借りはしっかり返すので助け合いが成り立っているのです、日本人ぐらいでしょう外に出ても礼のひとつもろくにいえない人種は、、ですから助ける気力がなくなる、、という悪循環になってしまうのです。

コマンダー
日本人の考え方、助ける側と助けられる側のしっかりした信頼関係ギブアンドテイクこれが出来上がらない限りは、、卵がさきか?鶏が先か?、、先に進むことは難しいでしょうね、、残念ながら


コマンダー
いつも初心を忘れないように私も心がけているつもりです、いつ魔の手が伸びるかわからないですからね、今日はもう現地ですねエンジョイしてきてくださいね、


コマンダー
彼らも所詮大使館の 会社員 気持ちから同胞を助ける気持ちのあるやる気のある企業戦士はほとんどいませんが、、私の知っているフリ○○領事彼は最高の戦士でした、、彼みたいな領事が入れば我々も少しは安心できるのですが、、しかしやる気のある領事はすぐにどこかに飛ばされる??いなくなってしまいますね、、


コマンダー
ほとんど動きません、やはりかかわりたくないというのが実情でしょう。彼らが100%無罪と言う証拠がないわけですから真っ白でない限りいくら白に近くてもやはり白ではないという考えでしょう。


コメント
日本の役人は、弱者にだけ強いですよね。いつでも。強気に出る人に対しては、非常に弱い。
フィリピン最大の援助国日本を、どうして、強気に出せないのか・・・


コメント
いくら慎重に気を付けてもセットアップとなると
どう対処すればよいのでしょう。時間が経過すればするほど
難しいとお聞きしますが。
<彼らが100%無罪と言う証拠がないわけですから
でも彼等が100%有罪という事実もないのですよね?
署名集めて日本の外務省まで行進しましょうか。


コメント
セットアップは多い国ですから・・・明日は吾身と?
どうなるんでしょう?

コメント
初めまして。先程はお気に入り登録ありがとうございました。
しかし、これは大変なことですね。日本政府は動かないでしょうか?
無実であるなら余計に政府が動く必要があるでしょうね。


コメント
敬礼
ご苦労さまです。
同胞が無罪なら、、立ち上がろうではないですか、
微力ながら、、ご協力いたします


コマンダー
本当にそのとうり、、私から見ていても歯がゆいことばかりです。


コマンダー
心からそう思える人が何人集まるか?それが問題です。私たちもいざ大使館に講義!となると普段愚痴をこぼしている人の3分の1も集まればいいところです。やはり大使館に目をつけられたくないとか言う言い訳で、、それじゃ、大使館と同じ言い訳ですよね、、本心動きに参加できる人が100%なら動かすことができるかもしれませんが、、

コマンダー
こちらこそありがとうございます。
日本政府の出先機関、、大使館は動くことはないでしょう、、、
これが現実です。


コマンダー
ともに戦いましょう。我々は銃ではなく、筆でもなく、、キーボードで戦うと言うのはいかがでしょうか!そうですブログという武器でできることをともにやろうではありませんか!



コメント
大使館は動きませんからね~時に東南アジア方面は・・・


コメント
鈴○○木英司さんでしたね。ビデオを探したら民放で4年前位に特集したのがcaluboの家にあり何回も見直して愕然としました!それはフィリピン大使館員のコメントがあり凄い事を言っているからす。 (事実は分かりました。しかし失礼ながら、この国やタイなどの東南アジアではそうした事件を起こしたすべての人が“知らなかった”と言います“無実”と言われるなら弁護士を雇って裁判で勝てばいいと思いますが・・・)と他人事です。フィリピン大使館員は税金の無駄ずかいとしかいいようがありませんね!微力ながら日本で協力出来ることはしますよ。


コメント
去年、波乗り君たちが、帰りがけにガイドから、葉っぱを大量に買いうけ、空港1で、
セキュリティに捕まりました。
「財布を出せ!有り金を置いてけ!」
絞めて、日本円で10万円なり、毎度有り~

彼ら曰く、
「フィリピンは、何だかワカらない国ですね?」「正直、あまり面白くもないし」
と、呑気です。
私はそこで、
「お宅の会社は鯛でも有名だし、それだけの国債企業で、危険情報やらの教育を、、、会社でないの?」、、、
彼らの答えは、「無い!」そうです。
彼らのお父さんたちは
戦中生まれの苦労した昭和生まれですが、会話とか男同士の絆が、どうやらなさそうです。
私の同級生で、フィリピン戦線で終戦を迎えた父がいますが、「死のパターン行進」はどんな感じですか?」なんて感じで、頭に『死』をつけると、大変な勉強をさせてくれました。
失礼とは何か?死者とは何か?を、親切に教えてくれました。

世代を超える
マナーとか世渡りとかスマートさの知恵が
日本には無いです。昭和一桁世代で縁が切れたのかもしれません。
外国では食い物にされますね?




コマンダー
私もインタビュウ同行しましたがその答えに驚かされた一人でした。


コマンダー
そのとうりですね、、腰が重いというかなんと言うか、、理由はあるのかもしれませんが、、もう少し同胞のために重い腰をあげてもらいたいものです。


コマンダー
たまたまラッキーと言うしか言葉が出ませんがひとつ間違えると今でも刑務所の中にいた可能性もあるわけですから、、
まったく同じ内容で13年間(いまだに)囚われ中の日本人もいます。10万円ですんでよかったですね、、彼は裁判やなんやで1000万以上のお金を使い13年の月日を刑務所で過ごしているわけですから、、その差は大きい!

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プロフィール

管理人

Author:管理人
メールアドレス  free4649@msn.com

P J  1962年2月4日生まれ 46歳   
    罪名 強姦罪 刑期 無期1997年9月1日 1997年9月1日 12歳の子をレイプしたと訴えられセブ署にて逮捕 9月3日ダナオ刑務所に移管2週間後保釈、2001年7月20日 判決 2001年8月20日 モンテンルパ刑務所に移管


P J  1957年5月5日生まれ 51歳            
    罪名 詐欺罪 刑期 16年~20年 2001年9月24日 マカティ警察 逮捕 拘留 9月27日ビクータン入国管理局留置所 2002年10月4日 判決が下り 2004年10月10日 ニュビリビットモンテンルパ刑務所 Mediam 入所 2006年4月6日無期死刑房に移管、現在に至る。

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