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JP氏の刑務所に入るまでの記録

JPのプロフィールそしてこの牢獄での生活が始まるまでの記録を書き記しました。

氏名  JP
住所  高知県
罪名  強姦罪 4回
刑期  RECLUSION PERPETUA ×4(永久)
    *最長2029年8月22日までの不定期刑
    20年~40年×4回=80~160年
    40年以上の有罪刑が無い
    刑期の計算
    入所後 1~3年は1年プラス60日=3年プラス180日
3~7年は1年プラス96日=4年プラス384日
7~10年は1年プラス120日=3年プラス360日
10年~は1年プラス180日で計算する
    Reclusion Perpetuaは
        服役年数役12~13で減刑の申請が出来る
裁判所  セブ州ダナオ地方裁判所25支所
事件番号 1793.1794.1795.1796
弁護人  WALTER LAWAS(宣誓供述書のみ。公判出廷なし)
     JOSELITO ALO
通訳   旅行ガイド、元エンターティナー女性
告訴人  GARLIEN C PEREZ
検察官  GENEROSO CAPUYAN 途中DSWDからのリクエストで除外
FELIXBERTO GEROMO
裁判長  ESPERIDAON C RIVERAL 退職
臨時裁判長 MEINRADO P PAREDEA 公判2回判決
     (DSWD 社会福祉開発省)


逮捕、判決までの経緯
1996年8月15,16日とセブ州北部有る小島(ダアーンバタヤン)に行くえ不明の内縁の妻の父が居るとの事で居場所を知っている従兄弟と私と内縁の妻と3人で来ました。1泊泊まりで16日午後父を含む4人でダナオ市の私のアパートに帰ってきました。18日父親は1週間位で帰って来ると言って帰島しました。5日後ノ23日父親は私達の居るアパートに帰ってきました。娘と一緒に同居、原則には私も賛成しました。父親と私の内妻は10年以上も会っていなかったとの事で本当に嬉しそうで毎日話しをしたり、料理をしたりでした。父親が酒飲みのため私も一緒に少しの量だけ付き合ったりして、日々を過ごしました。
9月4日内妻の義父と娘2人(一人は告訴人)と計3人でアパートに来ました。      私が9月8日、日本に帰るまで一緒に居ることで私を入れ計6人の一時的な同居が始まりました。7日には母親が来るまでに成りました。何とかケンカ等の問題無人の日々が過ぎました。9月8日早朝5時に全員でセブ国際空港まで見送りに来てくれました。
8月に仮に私が告訴人を強姦する事が出来るのなら。18日午後~23日午前まで。(図1)を見れば分かるように、声を少し出せば必ず誰かに分かるはずです。しかし5日間は私には証明する物が在りません。法廷でも何時とかの日時がありませんので証明が出来ません。
11月15日、日本の住所に内妻から長女が7日に生まれたと電報が届きました。17日にセブのアパートに行った所、知らない人が居ました。話では内妻はアパートを引き払って、彼女の実の姉の嫁ぎ先のサンダヨンという山村に居るとの事、夕方5時30分位いでした。タクシーの運転手に訳を言って何とかサンダヨンまで行って頂きました。道中は道と言える道も無い所で無理矢理行ってもらいました。姉の嫁ぎ先に着いたのは夜の7時30分位、回りに民家は二、三軒の山村、近所の方が気付いて内妻を呼んで頂きました。その夜は内妻、長女、告訴人と一緒にセブ市内のホテルに1泊しました。次の日またダナオ市に戻り新しいアパートを探し、又セブのホテルに泊まるを繰り返し24日に新しくアパートを借りる事になりました。※3月13日まで告訴人の件と関係無し省略。
1997年4月9日フィリピン、セブ州ダナオ市のアパートに直行、アパートに入ると内妻、長女、メイドのバールジィ、内妻の友人のシャネットが私を迎えてくれました。告訴人は4日から姉の嫁ぎ先に手伝いに行っていること(姉が水疱瘡の為)
10日 午前10時位、姉と夫、子供2人、告訴人がアパートに来る。4時位に洗濯があるので嫁ぎ先に帰って行きました。
11日私、内妻、長女とセブ市に行く(以前からメイドのバールジィに次に私が帰ってきたときは、彼女の田舎(ビサヤ)に行く飛行機のチケットと休みをあげる約束をしてたので飛行機のチケットを買う為)午後4時過ぎにアパートに帰って来る。同時に告訴人も姉の所から帰って来ました。夜は近くの日本人(I日本から同行)のアパートへ行ったり来たりしていました。
12日 午前5時に空港へ見送り、午後5時位に帰る。Iのアパートに通約の為、行ったり来たり。
13日 午前10時位からIの所へ出入り(通約の為)午後5時位、内妻の母と叔母、夫、子供、2人が来ました。話しをしたり、食事したり、酒を飲んだりした後、9時位に帰っていく。
14日 午前7時に内妻の母親が来る。私、内妻、長女、母、告訴人とセブ市に行く。午後4時位に帰る。夕方、Iの事で女性が来る。通訳、1万ペソをIに貸し女性に支払い帰って頂く。夕方、母が帰る。
15日 母親が私達と同居を願う。午前9時位に荷物を持って来る。夕方、メイドが彼女の姉の夫と田舎から帰って来る。一緒に酒を飲む。
16日 午前中、Iが来る。彼の明日の誕生日の相談、酒を飲む。
17日 朝からIの誕生日の為、彼のアパートに行く。午後10時位に帰る。
18日 Iの所のメイドが私を呼びに来る。一緒に酒を飲み午後10時位に帰る。
19日 明日のカモテス島(ダナオ市から南東に小型の船で2時間)に近所の人達と行く為に内妻、告訴人が朝から買出しに行く。午後6時位に近所に店を持っているN氏夫婦が来る。8時過ぎに帰る。
20日 午前7時にカモテス島へ行く。
21日 午後3時ごろアパートに帰って来る。長女少し熱が有る。全員が疲れた為、早く寝る。
22日 長女の熱が下がらず、近所の医者に往診に来てもらう。長女の看病をしつつ全員早くから寝る。12時位にテレビの音がするので早く寝る様に注意。
23日 長女の熱が下がらず、近所の別の医者に往診に来てもらう。彼は小児科専門と知り合いから聞き、告訴人に呼びに行ってもらう。応診の結果、前の医者の処方した薬が子供には非常に強いとの事、大人の薬を処方していた。夜、Iが日本に帰るための相談。
24日 Iのメイドが呼びに来る。日本に帰る為の飛行機代の相談。酒を飲み夜10時位に帰る。
25日 午前10時位から、私、内妻、I、彼女とセブ市にチケットの予約に行く。アパートに帰って来るなり熱が出る。
26日 私は高熱のため、近所の医者に往診してもらう。午後から2、3回安否を気遣いIが来くる。
27日 又、往診に来てもらい、点滴をしてもらう。午後2時~10時位まで点滴、午後から数回、Iと知人が安否を気遣い来る。
28日 目眩、熱が有り、Iが時々安否を気遣い来る。早く寝る。
29日 午前7時位、姉が来る。洗濯多しとの事で告訴人に手伝い求め、一緒に姉の嫁ぐ先に行く。
30日 まだ体調が優れず、午前10時位、Iが来る。夕方、パンの手産
※ 以上が4月の私の行動です。3日連続で3回も強姦は無理と思います。
※ 尚、告訴人は訴えで強姦をされた日時が無し、月だけでどうして有罪に出来るのか?又、告訴人は強姦された時、学校の制服を着ていたとの供述、4月はフィリピンの学校は全て夏期休校です。又、3回の内1回は外の庭を母親が清掃していたとの事、私が居た部屋は外から中が見える。ましてガラス窓でないので少し声を出せば、母親に聞こえたはず。アパートを替わるごとに一緒に来た。等々と不快な点がある。

5月7日 Iが日本に帰る。
9日 ジンジンコンパウンドに引越しする。3号室に入室、4号室は日本人のO岡氏。
13日 酒に酔って私は内妻とケンカ、内妻の頭を縫うほどの怪我をさせてしまう。
18日 メイドが給料を催促して来た。初めての事。
20日 メイドと告訴人が早朝から家出、内妻と長女を連れてセブ市に探しに行く
24日 ケソール(告訴人の実家)に内妻が探しに行く、午後アパートに帰って来るが長女を連れて私のパスポートと現金を持って出て行きました。2,3日後、近所の人から内妻と告訴人が私を警察に訴えたのこと(強姦罪)、私は何もしていないから、問題が無いので、有難うと言って帰ってもらいました。数日後、裁判所からの呼び出し状が、来ました。私は知人に説明して、どうすれば良いかアドバイスをお願いしました。近所にワルサーと言う弁護士が居るからと知人は、私を弁護士の所に連れて行ってくらました。一応の話を終え、私の反論供述書を作って頂き、後日裁判所に行き、告訴人とDSWSと話し合いをしました。先方は訴えを取り下げないとの事。結局、逮捕状が出ました。ワルサー弁護士に仮に逮捕になれば保釈は取れるかとの私の質問に2、3年拘置所に居て、それから、出してやると言われ、解雇しました。
知り合いが、副市長と仲が良いとの事で相談に行きました。副市長は気のよい人で、彼の同級生のアロー弁護士を紹介してもらい、後日、アロー弁護士に会い行き話しをしました。本当に私が強姦をしていないなら、弁護を引き受けると言って、彼を雇いました。その後、知り合いに裁判長のESPEIDION RIVERALと検察官のGENEROSO CAPUYANを紹介してもらいました。知人はやはり比処フィリピンはコネが無いと弱いと私にアドバイス、知人に連れられ裁判長の自宅に挨拶に行きました。彼は私に対しての逮捕状を出した人を知り、初めはビックリしてましたが、話を聞き問題無し、無罪に成ると言ってくれました。後日(レッチョンと洋酒と少しのお金を届けに行きました)。数日後、今度は検察官に挨拶をする為、セブ市内のホテルに行きました。当日はセブ市全部の検察官の会、少しの間、話をして彼も裁判長と同じ問題無し、無罪に成るとの事
※ 後に検察官はDSWSのリクエストにより私達の法廷を除外されました。裁判長も又、判決前に退職しました。数日が過ぎ、私は知人に内縁の妻と子供に会って話をしたいと相談しました。彼はどうなるか分からないが、DSWSに行ってみるよとの事。私は逮捕状が出ている身分、本来は会える訳がありません。知人と彼の奥さんが、面会するとの名目。私は車の後部座席に身を潜めて場内に潜入。思った以上に簡単でした。内妻は初め恐る恐る出て来ました。私の居るのに気が付き混乱し、知人が、話が出来る状態まで落ち着かせてくれ、何とか話が出来ました。内妻は自分達のした事を謝り、早期にDSWSを出て私の所に帰って来ると言いました。
※ 後日、私が保釈中、告訴人に会った時、彼女も2、3回DSWSを出ようとしたが、捕まり、職員からは、もし告訴を取り下げる事が有ればなど色々と脅かされて、怖くてDSWSの職員の言う事を聞くしかなかったとの事。事実、警察では1回の強姦が、DSWSによって3回も増えた。
9月1日 私はセブ市に有るSMデパート内の銀行へ、カットムーンと言うセブ島北部に在る町(身を隠して所)から出向いていました。SMデパートの駐車場に着いた時、当時のセブ警察のCIS部署に逮捕されました。CISの取調べは無く、私物は全部取られました。一緒に居た知人が弁護士に連絡をして、翌日、面会に来ました。あと地方新聞社2社が来て、写真を撮られて少しのインタビュー、私は強姦を否定しました。
9月3日 ダナオ市に移送されました、9月10日、16日、19日と公判をし保釈されました。
※ 後日、保釈に理由を尋ねると強い証言、証拠が無いとの事、日本では起訴も出来ません。12万ペソの保釈金(40万円弱)は私にはありませんでした。知人が土地を担保にして保釈してくれました。
約4年の保釈の間、裁判をして2001年7月16日が判決日に決まりました。16日当日の判決は20日に延期との事。理由は事件当時、告訴人の年齢がわからない。12歳の時では刑の重さが大きい。
20日 弁護士は時間になっても来ない。電話をするとタイヤがパンクとの事で結局、法廷に居合わせた他の弁護士が私の判決文を聞くとの事、私は何も分からないまま終了しました。手錠を掛けられ拘置所に帰りました。夕方になって弁護士がきました。彼の一言目はもう一度保釈を取るとの事。私は一言、もういいです。帰ってください、あなた方の事が、信じられません。控訴もしなくていいです。モンテンルパに行きます。その翌日、大使館の電話番号も分からず、手持ちの本にS山さんの電話番号が在ったのでフィリピン在住、セブに近いと思って電話したが通じない、O昭さんに電話するが通じない。やっと分かったのがセブの日本領事館、電話すると出ました。近日中に行けると思いますとの返事。
結局は、翌日にロボットみたいな爺さんが来ました。面会は10分以内、名前、年齢、住所、罪名
マニュアル通りの質問が終わり、じゃあ頑張ってねと。帰って行きました。
8月19日 セブ港からフェリーでマニラに出発(囚人3名、刑務官4名、内縁、子供2人、母親、全ての家財を売って、最小限のバック7個)
20日 マニラ港着、昼ごろモンテンルパ刑務所RDCに着きました。10日位して当時の領事が面会に来ました。弁護士等の相談しましたが、領事からの返事は、大使館は何も出来ないとの事。母親からの送金手段を聞くと大使館は銀行では、ありませんの一言でした。後は言葉も出ません。10分弱で私は面会を放棄した部屋に帰りました。

冤罪で捕まった者の事考えた事有りますか?冤罪で捕まって居る者の寂しさ、苦しさが分かりますか?誰も信じられなくなり自殺まで考えた者の気持ち、分からないですよね。逮捕されたから、有罪判決になったからと言って、犯罪者扱いするのはどうでしょう。この様な事は、在フィリピン大使館だけですか?大使館職員だけの考えでしょうか?邦人保護とは、どの様な業務の意味を持っているのでしょう?事件、事故に巻き込まれたリ、でっち上げの事件で逮捕された者も居ます。在日本国大使館は立場から、自国民の保護、救済のため、事実関係を調査し、その現実に元ずいて、早期の措置を講じてほしいと思います。信頼を得る大使館ではなく、信頼出来る大使館になって頂きたい。
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Comment

★No title

強姦罪4回 となっていますが、同一人物に対するものですか? 告訴人が若いようなのですが、彼女の親族等は彼女の味方なんですよね? 彼女の親族等、つまりJPさんの内妻たちが証人になっているわけですね。
JPさんがおっしゃることが正しいなら、随分ずさんな証拠で有罪にしていると感じました。



★No title

再び考えてみたのですが、JPさんを強姦罪として告訴するメリットは何であるのかが気になります。JPさんを民事裁判でも訴えたのですか? そして精神的苦痛に対する慰謝料請求をしたのですか? あるいは、JPさんの財産を彼らたちが現在私物化しているのですか? 告訴人も強姦されたと訴えていることがうそだとなればそれなりの制裁があるはずです(日本であれば誣告罪)。さらに証人となった者には偽証罪。そんな危険を冒してまで告訴するメリットは何かと考えてしまいました。

★村長527 様

強姦罪4回 は同一人物ということです。冤罪で捕まっている人の取調べなど本人がサインなどしなくともどんどん進んでいくし、かってな罪をどんどん増やしていくし、、
そんなことが許される司法がどうしょうもなく、それに対して黙っている日本政府もやっぱり治外法権だどうだというのはわからなくもさりませんが、常識の範囲内のことですよね。

弁護士、警官、検事、判事、DSWD(社会福祉賞)などこの事件にかかわった人はみんな儲けています。そんをするのは訴えた女と訴えられた日本人男性のみです。
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プロフィール

管理人

Author:管理人
メールアドレス  free4649@msn.com

P J  1962年2月4日生まれ 46歳   
    罪名 強姦罪 刑期 無期1997年9月1日 1997年9月1日 12歳の子をレイプしたと訴えられセブ署にて逮捕 9月3日ダナオ刑務所に移管2週間後保釈、2001年7月20日 判決 2001年8月20日 モンテンルパ刑務所に移管


P J  1957年5月5日生まれ 51歳            
    罪名 詐欺罪 刑期 16年~20年 2001年9月24日 マカティ警察 逮捕 拘留 9月27日ビクータン入国管理局留置所 2002年10月4日 判決が下り 2004年10月10日 ニュビリビットモンテンルパ刑務所 Mediam 入所 2006年4月6日無期死刑房に移管、現在に至る。

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